6年生の過去問演習が始まった。まだ夏。入試までは半年ある。
いきなり憧れの第一志望校の過去問をやって、そうそう点数が取れるものではない。
この時点ですでに合格最低点を超えられるのであれば、かなり手堅いと言っていい。
逆に、憧れの学校なら、今の段階で合格までの壁が分厚いのは普通のことだ。
志望校の入試問題なのだから、点数は高いに越したことはない。
しかし、最後に適当に書いた答えがたまたま合っていたとか、
図を見て「60°くらいかな」と書いたら○だったとか、
そういう点数の取り方には意味がない。
空欄を作らないために適当に答えるくらいなら、潔く白紙にしておいて、
その問題の復習にしっかり取り組んだ方が、半年後の合格には近づく。
つまり、過去問で大切なのは、何点取ったかよりも、その後の「直し」である。
ところが、この「直し」が難しいのである。
テスト中、あれほど考えても解けなかった問題が、
テスト終了後に模範解答を見れば、すんなりできてしまう(気になる)。
「なるほど、そういうことか。」と思う。
しかし、これで本当に「直し」ができたと言えるだろうか。
模範解答ありきの「直し」で、本当に力がついているだろうか。
良い「直し」には、「質問」と「添削」が必要だと思っている。
たとえば国語の記述問題。模範解答は、それはそれは素晴らしい文章になっている。
それを見て「自分でも書けそう」と思うだろうか。
模範解答を隠して、最初から自分だけで同じような答案を書けるだろうか。
何を書けばいいかわからない。答え方がわからない。まとめられない。
字数を調整できない。自分では書けたと思ったのに、採点されると点数が低い。
こうした課題を、小学生がすべて自力で「直す」のは簡単ではない。
だからこそ、先生の力を借りた方が圧倒的にいい。
「ここまではわかるけど、ここからがわからない。」
「自分ではこう書いたけど、何が足りないの?」
「この答え方ではダメなの?」
そうやって質問し、先生と一緒に考え、答案を添削してもらう。
その積み重ねが、「次はできる」につながっていく。
ところが、それをわかっていても質問しない子がいる。
「何を質問していいかわからない。」と言うのだ。
本当にそういうこともあるかもしれない。
ただ、私はそれだけではないと思っている。
「できるようになりたい」という気持ちが、まだ十分に強くないのではないか。
できない自分を見られたくない。わからないと思われたくない。
怒られたくない。面倒なことはしたくない。
だから、模範解答を見て「なるほど」で終わらせ、自分で「直せた」ことにしてしまう。
一方で、成績が優秀な子や、実際に難関校に合格していった子ほど、
驚くほどよく質問に来る。
わからないことを、わからないままにしない。
できないことを、できたふりしてごまかさない。
自分の答案のどこがダメなのかを、先生に見てもらうことを恥ずかしがらない。
これが、学力の高い子たちに共通する姿勢である。
学力を上げるためには、今できていないことを、できるようにするしかない。
質問することは、恥ずかしいことではない。
過去問の点数が低くてもいい。今はまだ、できなくてもいい。
大切なのは、できなかった問題を、できなかったまま終わらせないこと。
「できるようになりたい」なら、自分の殻を破って質問すること!
もっと先生を使ってほしい。さあ、殻を破ろう。
「何を質問していいかわからない」なら、問題と答案をそのまま持ってくればいい。
そこから、一緒に「できる」を増やしていこう。
