今がまさに素晴らしい

サピックスの偏差値表を見ると、名だたる学校が偏差値50前後に集まっている。
昨年、野球部が甲子園に出場したことでも注目された慶応普通部でさえ、
偏差値59と、偏差値50台に位置している。

ここで、例えば、高校受験前、すなわち中学生のときに
自分は偏差値60オーバー、いや70もこえていたかな!
というような大人が、錯覚を起こす。
ちょっと頑張ったら慶應入れそうじゃない?と。
あるいは、偏差値50くらいの学校を見て、簡単に入れそうと思ってしまう。
しかし、母集団のレベルが違えば、その偏差値を比較しても全く意味がない。
中学受験と高校受験の偏差値50は、全く別物なのである。

このことを、実感を持ってわかってくるのが、6年生の秋過ぎたころからである。
志望校の過去問を本格的に解くようになって知る、私立中学のレベルの高さ。
数字(偏差値)ではわからない、それぞれの学校が求める学力の高さ。
平たく言えば、現実を思い知らされるのだ。
偏差値や人気は、その学校の入試問題のレベルを示すものじゃないぞと。
試しに大人も解いてみるとわかる。国語なら解けるとか、社会だけなら…
という人はいるだろうけれど、4教科解くということは、かなり難しい。
その難しいことを、小学生がやっているのだ。

また、一方で、その難しいことを軽々とやってのける(ように見える)子がいる。
我が子もかなり頑張っていると思うけれど、上には上がいると突き付けられる。
もちろん、その子たちも努力なしにやれているわけではないのだが、
その子たちを傍から見たときに、
「すごい!」と感動し、畏怖し、「モノが違う」と諦めたくなる。
しかも、そういう子が一人や二人ではなく、ロットとして上位にいて、
その層が、とても分厚い壁に感じられる。

これは、最上位層だけのことではなくて、どの子にとっても同じだと思う。
今の自分のレベルよりも上にいる人や、
今の自分よりも高いレベルの学校を見上げたときに、諦めたくなるのも不思議でない。
だが、すごいな、羨ましいな、無理かもな、でも行ってみたいな、目指したらダメかな、
と葛藤して、それで自ら頑張ろうと思ったのなら、そのことがすでに成長だと思う。

まだ何もわかっていないときの無邪気な「頑張る!」とは、わけがちがう。
自分に力が伴っていないときは、まだ相手(学校)のレベルを見極められない。
その難しさを知らないから、いくらでも大きなことを言える。
だが、その難しさを知った上で、そこに立ち向かおうとするのは、
届かないかもしれない、負けるかもしれないという恐怖とも戦わないといけない。
自分の至らぬところと向き合い、受け入れ、乗り越えていかねばならない。

大人にだって、そんなギリギリの生き方、したことがないという人はいるだろう。
それを若干、11歳12歳の子たちがやっている。
頑張って!としか、かける言葉が見つからないかもしれないけれど、
気安く頑張って!とも言えない。
彼らは小学生にして、今まさにものすごいことをしている真っ最中なのだ。