悪い癖をつけてほしくない①

いつだったか、仕事から帰ったタイミングでテレビをつけたら、
「ファンタスティック・ビーストと黒い魔法使いの誕生」
という映画が放送されていて、ラスト1時間弱を観ることができた。
ところが、残念ながら、さっぱり意味がわからなかった。
誰が主人公かは、かろうじてわかったが、
これは吹き替えをしている声優さんの声で想像がついただけだ。
いつ終わったのかもわからぬまま、気付いた時には映画が終わっていた。

シリーズ(ものなのかな?)を全部観ているような人や、
何回か観ているような人なら、楽しめるポイントがいくつもあったのだろう。
この映画内だけではなくて、
他の映画での伏線を回収したり、違う映画に続く伏線があったり、
そういう仕掛けもあったのかもしれない。
ただ、僕には、それらが全くわからなかった。

これについては、映画に非があるわけではない。
そもそも、僕はこの映画についてもラストの数十分くらいしか観ていないので、
この映画の良し悪しなど、わかるわけがないのだ。
このシリーズ好きな人をクスッとさせるような小ネタはもちろんのこと、
ストーリーさえよくわからなかったが、それは当然なのだ。

 

さて、本題。
例えば国語の問題で、説明的文章のときは最後の方に大切なことが書いてあるとか、
〇〇の接続詞の後ろは重要!などと教わることがあるのではないかと思う。
実際、大切なことが書いてあることは多いが、
では、そこだけ読めば内容がわかるかというと、そんなことはない。

最後だけ読んでどうにかしようとか、接続詞の後ろだけ注意しようとか、
傍線部の前後だけ読んで答えを出そうとか、そういう小手先のテクニック、
いや、実際そのやり方では入試で通用しないから、テクニックとも呼べないのだが、
そういうやり方をしているうちは、国語ができるようにはならない。

ところが、特に低学年のうちは、この方法で点数を取れてしまうことがある。
ここが非常に厄介なのだ。(低学年の模試を勧めない理由の1つでもある。)
目先のテストで、下手に点数を取れてしまうと、
このやり方でいいじゃん!全部読まなくていいじゃん!と錯覚する。
付け加えるならば、各家庭で親塾が開かれている場合に、
「ほら!ここに答えのヒントが書いてあるじゃん!」
とやってしまうのも危険である。

国語に限った話でもない。
社会や理科で、ここがテストに出そう!おぼえておきなさい!
と、親主導でやってしまうと、授業を聞かなくても、
テスト直前の親の予想問題をやるだけで、点数が取れる!と学習してしまう。
子どもが楽な方に流れるのを、大人が手助けしてどうするのか!という話だ。

小手先の勉強で乗り切ると、後々、もっと大変なことが待っている。
わかりやすく言えば、いわゆる、難関校と呼ばれる学校の入試問題は、
小手先で乗り切ろうとする子を弾くための問題になっている。
目先の点数だけを追ってしまうと、それが学習の姿勢として定着する。
それを払拭、そこから脱却するのは、至難の業だ。
低学年のうち成績優秀で、高学年になって成績が下降(解けない問題が増える)する
原因は、こういったところにある場合も多い。