悪い癖をつけてほしくない②

昨年、マメシバ先生がサーパスの6年生の授業を「伏線回収」と評していて、
その表現は言い得て妙!とても面白いなと思った。

4年生のときにチラっと話したことや、5年生の途中で小出しにしたこと、
あるいは、何度かさりげなく繰り返したことなどを、6年生で一気にまとめあげる。
4年生や5年生のときに話したことを、そのときに完璧に理解していなくていい。
おぼろげに、あぁ!あったあった!くらいの記憶でも、
とにかく、あのとき話していたのは、そういうことだったのか!と、
そこで思えたら、点と点が線となって繋がる感覚を味わえると思う。

だから、授業を聞いていた子の方がどうしたって伸びる。
その日の授業内容に関係のない雑談すら聞いていた子の方が伸びる。
「記憶」は「感情」を伴った方が「定着」すると言われている。
だから、授業にせよ雑談にせよ、楽しんで聞いた方がいい。

また、答え合わせのときに、答えしか聞いていない子よりも、
答えに至る過程を聞いていた子の方が伸びる。
選択肢の問題の答えがアだろうがイだろうが、
そんなものを聞いたって(おぼえたって)たいした役には立たない。
だから、サーパスの国語では、問題を解くことにこだわっていない。
国語は、授業で扱った文章とテストに出る文章が大体において違う。
だからよっぽど、文章の背景の説明や、生徒の発言に合わせてする脱線話など、
そういったものの方が、後の他の場面に繋がっていくと考えている。

こうして、たくさん撒いた種のうち、いくつかでも芽を出してくれたら…
そして、いつしか葉をつけ花を咲かせてほしい、実を結んでほしいと思っている。
先ほど、点と点が線として繋がっていくようにと書いたが、
そのうちその線が、重なり合って面となり、続いて立体的になってほしい。
そう考えて、6年生になるずっと前、3、4年生の頃から授業をしている。
だから、「伏線回収」という言葉を聞いて、言い得て妙!と感じたのだ。

 

だが、この後、「でも難しいねぇ」という話になった。
なぜなら、この「伏線回収」がバッチリ決まったときの気持ちよさ、
すなわち、今まで勉強してきたことが、次々に繋がっていく感覚は、
6年生時に味わえることが多く、しかもそれは、
6年生の終盤も終盤であることが多いからである。
ということは、逆に言えば、
サーパスの意図というか価値というか、腕の見せどころは、
6年生も終盤にならないとわからないということであり、
4年生や5年生時には、授業をちゃんと聞いていたとしても、
まだ花を咲かせるどころか、芽すら出ているのかどうか気づけないような状態
であるかもしれないのである。

それって、通っている本人はそうでもないけれど、親の不安に繋がるかもしれない。
目先のテストの点数や、模試を受けたときの偏差値が出せていれば、
なんとなくの安心に繋げられる可能性は高いが、塾がそこに価値を見出していない、
すなわち、その目先の数字を塾が追っていないのである。
だから、途中で(親が)不安になって辞めていくというケースがあり得てしまう。
会社の経営としては、まったくもって上手じゃないのだ。