もっとずっと先を見ている

以前、ある女子校の先生から、
「ウチ(学校)の本当の良さは、卒業して10年くらいしてからわかる」
というような話をうかがいました。確かにそうだなぁと私も思います。

自分も中学受験をして私立を出ています。
在学時も卒業後も母校のことを好きでしたが、
そこで過ごした日々が自分の核になっていると感じるようになったのは、
確かに卒業してずっと経ってからだったような気がします。

 

だいぶ前の話ですが、教育ジャーナリストのおおたとしまささんが
「(人生)うまくいっているときは、〇〇卒なんて何の役にも立たない。
だけど、うまくいかないときやツライときには、そこで過ごしたことが活きてくる。」
と、こんな話をしてくれました。

この言葉の後に詳しい解説はなかったので、
ここから先は聞き手、読み手の解釈によりますが、私はこう解釈しました。

大学受験のときや、あるいは、就職活動のときに
学歴としての〇〇卒が役立つか?というと、
(役立つこともあるかもしれないが)そんなものは取るに足らないものである。
もしそれこそが最重要であるなら、それに適した学校は他にもある。
だが、どの学校を出たかとか、どの会社に勤めているかとか、
そういう肩書きや、身を守る鎧のようなものを取っ払って、
一体、あなたはどんな人間なんだ?と問われたとき、
あるいは、生身の人間力というか、芯のようなものというか、
そういう部分を試されるとき、そのとき初めて、そこで過ごした日々が助けになる。
そういうことなんじゃないか、と解釈しました。

この解釈が、おおたさんの意図と同じだったかどうかはわかりませんが、
自分がそういう解釈をしたということは…と、
改めて自分の価値観や考え方を確認することになりました。


それで、冒頭の話に戻るのですが、その学校に在学中ではなくて、
卒業して10年経つくらい先。年齢で言ったら30歳手前ですよね?
その頃はもういい歳した大人ですが、そんな先のことまでを想定している感覚って、
まさに先生だなぁ、教育者だなぁって(自分は)思うのです。

まぁ、今はコスパ・タイパが重視される時代ですから、
すぐに効果が出ること、すぐに役立つことに価値を置きがちですが、
学生を卒業し社会人となり、それこそ30歳を迎えるあたりで、
ちょっと自分の半生を振り返るというか、考えることもあるかもしれません。
そのとき、どんなことを思うか、例えばそのとき自己肯定感を持てているかには、
案外、この中高時代(10代)をどう過ごしたかという経験が
大いに関わっているのではないかと思います。