お恥ずかしい

塾の先生として、子どもに何を望むか。
第一志望に合格して欲しい。
やると決めたことを最後まで頑張って欲しい。
勉強を好きになって欲しい。
自信を持って欲しい。
普通、こんな感じなのかな?

 

う~ん。そう思わないわけではないけれど、これじゃない感もある。
第一志望だけが良い学校、向いている学校というわけじゃないし。
一旦やると決めたことでも、無理をしてまで続けない方が良いこともある。
それに、どうしたって好きになれないものもあるよね。
自信?どうやったら持てるんだろう?

究極、元気で健やかに過ごしてくれたら、それだけでいいとも言えるけれど、
それには、自分の力で生きていけるだけの何かを持っていた方が良い。
そう思うから、ついつい色んなことを望んでしまうんだろう。

 

今よりも、AIが発達したり、外国人労働者がたくさん日本に来たり、
様々な要因が重なって、就きたい仕事に就けないとか、生活が苦しいとか、
子どもたちに、そういう思いはできればさせたくないなぁと思う。
それには、(ここは塾なので)勉強をしっかりやっておくことが、
後々助けになることもあるだろうと思う。

例えば、AIに仕事を奪われないためには、
言われたことだけこなすのではなくて、考える力があった方がいいよね。
また、そのためには、手に(何らかの)職をつけるという単純なことではなくて、
予測のつかないどんな未来がやってきても、その度対応していく柔軟さや、
知らないこと新しいことを学ぶ意欲があった方がいいよねとか、そんなことも思う。
(だから、勉強のさせ方、取り組ませ方も、点数に固執しない形になってしまう。)

そして同時に、ただ頭が良い、能力が高いというだけではなくて、
人から必要とされる人、一緒に仕事をしたいと思われる人、
そういう人になれた方がいいと思う。
(他の人が100人束になってもかなわないくらいの能力を持った人なら、
仮に多少性格が悪くても、必要とされるかもしれないけれど。)
隣にいる人のことも大切にできる人になって欲しいと思う。

究極、元気で健やかに…と言っておきながら、望めばキリがない。

 

今月の頭、とあるTwitterに
「〇〇がお腹にいる時私の父は特に何も言わない人だったけど、ある日「子に何も望むな。お前が子に望むことは己のコンプレックス、欲望、足りないものだと思え。子に自分を投影するな。どうしてもそうして欲しいならお前が先陣を切れ。勉強して欲しいならお前が勉強しろ、本ならお前が本を読め」と言われた
とあった。

その通りでございます。