東京オリンピック・パラリンピック(前編)

2020年、東京でオリンピックとパラリンピックが本当におこなわれるようだ。

東京に決まった瞬間、思わず立ち上がってしまうくらいに興奮し、

フェンシングの太田雄貴選手の涙にもらい泣きした人は

多かったのではないだろうか。

自分も「TOKYO」の文字を見た瞬間に、ブルブルっと身震いした。

本当に来るんだ!?生で見られるかもしれないし……

すげぇな…7年後か…俺、どうしてるかな?などと、

なんだかフワフワした感じでしばらく過ごした。

東京に決定したことについて、本当はもっと早くブログを書きたかったのだが、

自分の中でまだ整理がついていないことがあったので、

形式だけの内容にはしたくないなと、しばらくペン(?)が進まなかった次第である。

整理がついていないこととは、例えば復興の問題、原発・汚染水の問題である。

東京に招致するための手段としては正解だったのかもしれないが、

「福島から250km離れているので

みなさんが心配するような危険性は 東京には全くない。」

「状況はコントロールされています。」

「汚染水による影響は、福島第一原発の港湾内の0.3kmの範囲内の中で、

完全にブロックされています。」という発言を、

福島に住んでいる(住んでいた)方々がどんな気持ちで聞いたのかを思うと、

東京招致を素直に喜んでいいのかわからなくなる。

復興に充てるはずの資金が減りやしないか、

7年後の東京ばかりに目が向いてしまうのではないかと不安になる。

また皇族の高円宮妃久子さまが最終プレゼンの場でスピーチされたことも、

問題になった。

スピーチは本当に素晴らしくて、会場の空気を変えたというか、

思わず姿勢を正して聞きたくなる素敵なスピーチだった。

しかしこういう場に皇室を利用していいのかという反対意見を

ほぼ無視した形で押し切ったようにも見えた。

招致活動が政治的であるかどうかの判断は難しいが、

少なくとも東京で開催することでの経済効果、景気回復も見込んでいるなら、

商業的な利権の問題を確実に孕んでいる。

そういったところへの反対意見と(時間の兼ね合いもあっただろうが)

じっくり話し合っていない印象を持った。

しかしそれでも、この招致活動に尽力した方々の

肩にのしかかったであろう責任やプレッシャーを思い、

その中で東京招致を実現させたことの達成感や喜びを思えば、

ここはポジティブに捉えて喜ぶべきところだと思った。

誰しもが、せっかく頑張って勝ち取ったことに対して、

ネガティブに批判されたらガッカリすると思う。

ガッカリどころか言葉では表せないくらいの虚無感に襲われるかもしれない。

批判だけなら誰でもできる。

ここは、復興の問題、原発・汚染水の問題も、

あの発言によって更に「必ず取り組まなければならない」ものになったと信じたい。

そして、7年後の日本が今より「いい国」になっていると希望を持ちたい。

開催地が東京に決まった理由の1つに、

東京が一番安心してオリンピック・パラリンピックを開催できるということがあった。

交通網は発達しているし、電車は基本的に時刻通りに来る。

しかしそういったインフラの完備(ハード)だけが日本の良さでないところを、

改めて見せられたらと思う。

海外メディアでも取り上げられていたが、

日本人の美徳は、震災のような緊急時でさえ、

食事配給を受け取るために一列に並んで待ったり、

信号のつかない道路でも譲り合いの精神で大きな事故が起きなかったり、

そういうところにある。

そういう良さ、日本の柔らかさ(ソフト)を世界に伝えられたらと思う。