東京オリンピック・パラリンピック(後編)

パラリンピック走り幅跳びの佐藤真海(まみ)選手。

宮城県出身で、東日本大震災の時には家族と6日間連絡がつかなかった

という彼女が語る言葉は、強い意志と温かい想いが感じられ、

本当に感動的だった。

佐藤選手は、バルセロナオリンピックで金メダルを取った

水泳の岩崎恭子選手に憧れて水泳を始め、中学生からは新たに陸上を始めた。

中一にして部活だけ頑張るとか勉強だけ頑張るとかは自分は嫌だと、

両方頑張ることを宣言。

そして甲子園にも度々出場するスポーツ名門校の仙台育英高校に進学後は、

部活動禁止の特進クラスにいたにもかかわらず、

特別に陸上部に入ることを許されたとか。

その後早稲田大学商学部に進学し、ずっとやりたいと思っていた

チアリーディング部に入ったのだが…

大学2年の時に突然右足首に痛みを感じ、病院に行くと

骨肉腫と診断される。痛みを感じた数週間後には

右足膝以下を切断することになった。

体を動かすことが大好きで、そしてこれだけまっすぐに頑張っていた人が、

突然このようなことになれば絶望するのは当然である。

何も悪いことをしていないのに…と運命を呪ったとしても不思議ではない。

しかし彼女は再び立ち上がった。義足をつけて泳ぎ、走り始めたのである。

しかも彼女の選んだ走り幅飛びは、ただ走るだけの競技ではなく、

飛ばなくてはいけない。複合的な力が必要だろうし、

おそらく飛ぶ瞬間には痛みもあるのではないか。

しかし彼女は敢えて難しいことにチャレンジしたのだ。

今、彼女は日本記録とアジア記録の保持者である。

そんな彼女は

「絶望したが、陸上を始めた。上達するにつれて新たな自信を深めた。

何よりも大切なのは自分が今持っているもので、

自分が失ったものではないと気付いた。」

「私は目標を決め、それを越えることに喜びを感じ、

新しい自信が生まれました。」

と語っている。

東京招致が決まった今、彼女は7年後に向けて一層の使命感に燃えているという。

そして「パラリンピックを日本で開催することができれば

バリアフリーにつながると思っていた。

すべての人が過ごしやすいまちづくりの後押しになると思った。」

と語っていた。

想いは人の心を動かし、世の中を変えることができるように思えた。

僕も「熱」を持った佐藤選手から、エネルギーをもらった気がする。