やっただけ勉強

今年はコロナのせいで、例年よりは少ないけれど、
中学(高校)の成績表や、定期テストの結果を見せにくる卒業生がいる。
時には褒められたくて、時にはサボっている自分に喝を入れて欲しくて…。
(まぁ、お母さんに無理やり来させられている子もいるかな。)

その時、テストの問題と答案用紙まで持って来てくれていたら、
僕は必ず、数学をチェックする。
すると子どもは必ずといっていいほど、「平均点が何点だった」とか、
「自分は平均点より何点上か」とか、「平均点も低かった」(笑)などと話すが、
そんなことは正直どうでもいい。

僕は、テスト問題のレベルから学校の授業レベルを推測し、
その子の間違えている問題から、その子の理解度と、努力の有無を見ている。
分かりやすい例で言えば、
関数の場合分けの問題や、図形の証明問題を、丁寧に解いて正解していれば、
その子がきちんと勉強していることはわかる。
しかし、平均点が何点だろうが、計算問題を何問も間違えていたら、
その時点で努力不足といって差し支えないと思う。

少し話が逸れるが、
「数学の塾に行った方がいいか?」という相談を受けることがある。
(上の例で言うと)前者のタイプなら、塾に行って伸びる可能性は高いと思う。
しかし、後者のタイプは、努力不足が前提にあるので、
塾に行けばそれだけで成績が伸びるというわけではない。

 

さて、話を戻すと、この数学における「努力」とは何か。
まずは、「演習量」と言ってよいと思うが、これだけでは足りない。
少なくとも、計算においては、
『一問も間違えなくなるまで』の「演習量」と言うべきだろう。

テスト範囲の問題は、全部解いた。
間違えた問題もあったけど、間違えたところは一応直した。
と、この程度の勉強で良い点数を取れる方が稀だ。
この勉強で計算ミスもなく、良い点数を取れるような子なら、
授業で理解し、授業で完結できているから、当面の心配はないかもしれない。

だが、普通はこうはいかない。
本人だけは勉強した気になっているが、こんなものは勉強とは呼ばないのだ。
こんな勉強で力が着くわけはないし、点数を取れるわけがない。

 

「勉強してるよ!」とムキになって言う子ほど、
「勉強した」という事実を強調したがるが、
一回でもやったかどうか?ではなくて、
できるようになるまでやったかどうか?が大事なのである。

(そこまでやっても数学が得意にならない…という悩みが出る可能性がある。
しかし、この悩みは、努力をした先にあるので、まずは努力するしかない。)