多様性とか言う割に

過去のブログでも書いているが、僕は家庭教師を長いことやっていた。
大学生時のアルバイトとしてだけではなく、
大学卒業後にも、それを仕事としていた期間がある。

家庭教師を依頼される理由は様々であったが、
よくあるケースは、大手塾の授業についていくため、
クラス分けテストでクラスを下げないようにするための、
フォローを頼まれるケースである。

次に多かったのは、受験指導、過去問指導である。
一例としては、大手塾では秋頃から、志望校別の特別授業が組まれるが、
この志望校別授業は、超有名難関校に対してしかおこなわれないので、
それ以外の志望校対策は自分で(家庭で)取らないといけない!
ということで、家庭教師にお声がかかるわけだ。

 

そして、僕の場合に限った話になってしまうかもしれないが、
家庭教師晩年期に最も多く担当したのは、学校に行っていない子の指導である。
先に述べた2つの例では、学校から帰ってきたとき、
あるいは、塾から帰ってきたときからの指導になるので、
早くても16時頃から、遅いと22時からの指導なんてこともあったが、
この3例目のタイプは、早ければ午前中からの指導も可能であるので、
1日に何件もの御家庭を担当することができる。
そういうわけで、学校に行っていない子を、同時期に複数名担当することができた。

さて、その学校に行っていない子たちは、初回の指導に限らず、家まで行っても
部屋から出てきてくれず、会えないということもよくあるのだが、
実際に指導してみると、「いい感覚してるなぁ!」「センスいいなぁ」
と、驚かされることが本当に多い。

もちろん、苦手な科目や苦手な単元もあるのだが、
そんなものは誰だってあるのだから、気にもならない。
それよりもむしろ、披露する場がなかなか無い分、
宝の持ち腐れのようになっているその子の光る部分、
鋭いこともあれば、柔らかくてみずみずしいこともあるセンス、
そういったところに、決して大袈裟ではなくて、心から感動した。

なのに、世の、社会の見方が、相変わらず古臭いままであるのが、
とても残念というか、もったいないというか、
いや、正直に言えば、その無理解に対して、苛立ちさえおぼえる。

「心が弱い」「怠けている」「逃げている」
「社会に出たら、どうのこうの」「昔は…うんぬんかんぬん」
こんな考え方は全て的外れなのに、
こういうことをいまだに言う人は、自分が正しいと信じて疑わない分、
全て上からの物言いになる。

 

今や、小・中学生のうちおよそ2%、約20万人が不登校の状態にあり、
中学生に限ると7、8人に1人が不登校、または不登校傾向にあると言われている。
大人が、自分自身が不登校じゃなかったという経験だけでモノを語るのは、
時として、多数派の論理の押し付けになる。
言い方を変えれば、多様性とは程遠いし、一歩間違えれば、イジメである。

 

学校に行かないという選択肢、学校に籍を置いているという選択肢、
色々な選択肢が増えてほしいと思う。

 

以下も参照していただければ。
https://toyokeizai.net/articles/-/611880