一昨日発売の週間ダイヤモンドでは「使える数学」という特集が組まれていた。
一橋大学法学部を卒業し、米イリノイ大学大学院数学科博士課程を修了した
国立情報学研究所の教授、新井紀子さんは
「機械に仕事を奪われる時代
生き抜くための数学の言葉」
というテーマで、数学の必要性を語っていた。
大人の中にも、
「数学が社会に出てから役に立ったことない」
「微分積分なんて知らなくても、小学校で習う計算さえできれば生きていける」
なんてことを言う人がいるが、新井さんは逆に
数学で大事なのは計算などではなく、論理であると言う。
『グローバル化した社会で、
いろいろな立場の人が話し合いによって物事を解決するには、
まさにこうした数学的な「論理」が大切だと思っているのです。
数学は社会の中で自分の身を守り、生きてゆくための道具でもあるのです。』
そしてこうも言う。
『コンピュータを使いこなすことが、生き延びる鍵なのではありません。
エクセルを使いこなすことでも、流行のSNSに参加することでもありません。
どんな知的作業がコンピュータによって代替可能なのかを
論理的に理解する必要があります。』
『流暢な英語を話せるだけでは、
国際的な競争を生き抜ける訳でも、尊敬を集められる訳でもありません。
そこで語られているのは、実は数学をベースにした「科学技術言語」なのです。』
別ページの特集も例に補足したい。
1990年にフィールズ賞を受賞した森重文さんが、
今は役に立つものだけが重視される風潮があることに対して、
『表現を変えると、「役に立つと思われているもの」が重視されている。
本当に役に立っているかどうかを、表面的に見ていますね。
例えば、携帯電話のデータ通信。
データを細切れにして送るのには数学が使われています。
ほとんどの部分で数学が使われているのだけど、目立たないだけです。』
と言っている。
僕ら中学受験塾が扱うのは数学ではなくて算数だから、
御二方が意図した話と違う部分もひょっとしたらあるかもしれないけれど、
算数もつるかめ算とか○○算の解き方をおぼえることが大事なのではなくて、
どう考えるかが大事である。
どう論理を組み立てるかが大事である。
近い将来、教科(算数とか理科とか)という枠組みはなくなるかもしれないし、
文系・理系という分け方だってなくなっちゃうかもしれない。
文系は数学やらなくていい(できなくてもいい)なんて考え方は、
通用しなくなるかもしれない。
生き抜くための数学、生き抜くための算数である。