おしゃべりも必要

ここ10年くらいのことなのだけれど、
口(唇)をほとんど動かさずにしゃべる人がとっても増えたと感じる。
本来、上唇と下唇がくっつかないと発音しづらいはずの言葉でも、
口の形が少しだけ縦長になったり横長になったりするだけなのだ。
口が半分開いたような状態で、全ての言葉をしゃべる。
子どもに多いというか、若い人に多い。
テレビに出ているような人でも、随分と多くなった。

別にだからどうしろということもない。
普通に生きている分には、お箸の持ち方や鉛筆の持ち方のように、
誰かから咎められたり、指導されたりすることも特にはないだろうし。

だけど、どうしてそうなるのかなぁ?
何かよろしくない原因があるのなら、どうにかできないかなぁ…
と、余計なお世話かもしれないけれど、そんなことを思う。

 

で、そこにきての長い長いマスク生活である。
口元が見えないどころか、それこそ無用なおしゃべりは控えましょう!
と、そういうご時世である。
くっだらないこと、バカバカしいことをおしゃべりしたり、
どうでもいいことで怒ったり笑ったり、そんな時間も貴重だったんだな。
(目の前にいる)おしゃべり相手の口元が笑っているのを見て、
今は笑っていいんだな。自分も楽しんでいいんだなって、
無意識に確認し、安心してたってことも、あったんだと思う。

 

そう考えたら、豊かな感情表現を身に着けるなんて、今は難しいよね。
人の気持ちを読み取るなんて、無理に近いんじゃない?

「ウチの子は本を読まない」とか「本は読んでるのに…国語ができない」
みたいなことはよく聞く。
もちろん、文字から情報を読み取る力も養わなければならないんだけど、
それ以前に、今書いてきたように、日常的に培われるものも、きっとあると思う。
無用なおしゃべりも、必要だったんじゃないかな。
給食(お弁当)食べながら、どうでもいいおしゃべりしたいよね。
せめて、お家では家族とたくさんおしゃべりして欲しいよ。