何年前からかわからないが、ここ数年、こういうことを言う子が増えた。
「できなかったらどうするの?(どうなるの?)」
例えば、「問1を5分で解いて!」と指示すると、
「5分でできなかったらどうするの?」と、こう聞かれる。
あるいは、「7時には起きようね!」と言うと、
「起きられなかったらどうなるの?」と、一事が万事この調子である。
できなかった時にどんな目に合うかを先に知っておきたい。知らないと不安。
もしツライことが待っているなら、やりたくない。
どうなるかがわからない不安な状態では、集中して取り組めない。
仮に失敗したとしても、自分の安全が保証されるなら、やってみる!
と、こういうことなのだろうか。
塾でも学校でも、そして家庭でも、この程度のことで、
百叩きの刑!とか食事抜き!とか、そんな目に合わせることはない(と思う)。
だから、この程度のことは、できなかった時のことなどいちいち考えず、
やってみればいい。それだけでいいのだが…。
僕らは入試が始まると、朝から応援に行くわけだが、そんな話をした時でさえ、
「朝起きられなかったら、どうするの?」と生徒に聞かれることがある。
しかも毎年のように!異なる生徒から同じことを聞かれる。
もし寝坊したら、どうしようもない。応援には行けない。だが、
「そしたら、その生徒、かわいそうじゃん!」
と、これも毎年同じように言われる。まるで台本でもあるかのようだ。
もちろん、寝坊しないように最善を尽くすのは間違いないが、それは、
朝起きるための事前の努力であって、朝起きられなかった事後の話ではない。
(今まで寝坊したことはないが、もし寝坊したら謝る。それだけである。)
それにしても、なんだろうなぁ、この違和感。
飛躍しすぎかもしれないけれど、転ばぬ先の杖で、転ばずに来ちゃったから?
転ぶと痛いんでしょ?血とか出るんでしょ?
転びたくないなぁ…。痛いのヤだなぁ…。
(転ぶかもしれないような)危ないことはやりたくないなぁ…。
と、こういうことなのだろうか。
で、こういう質問が出る。
「(受験)受からなかったらどうなるの?」
不安な気持ちは十分わかるから、子どもたちは何も悪くない。
一方で、大人は、今の社会は、これでいいのだろうか、と考えてしまう。
もっと軽傷のうちに転んでおいた方が、たくましくなれる気がするのだが…。