主体的って、どういう意味?

もう、1年近く前に発表されたことではあるが、
神奈川県の公立高校入試から面接が廃止される。
面接廃止で内申点「主体的に学習に取り組む態度」が大切に | カナガク (kanagaku.com)

確かに、入試当日のたかだか10分程度の面接だけで、
その子の何かしらの能力や人間力のようなものを見定められるとは思えない。
嫌な言い方をすると、初対面の人(高校の先生)に対して、
そのくらいの時間なら、自分を大きく見せることも、ウソをつき通すこともできる。

だから、面接の代わりに、
その生徒(受験生)を1年以上見てきた中学校の先生の評価を参考にする。
つまり、中学校での「主体的に学習に取り組む態度」を重視する。
ということらしい。

 

この変更は、面接が苦手で、そのことを考えただけでも吐きそう…
というような子にとっては、ありがたい話なのかもしれないが、
そうではない子にとっては、多分、ものすごく息苦しいんじゃないかと思う。

 

まずもって「主体的」とは、なんぞや?
宿題をノートに綺麗に書いて期限までに提出することを「主体的」と呼ぶのかしら?
では逆に、英語が得意で、英単語を英検準1級レベルまでおぼえているような子が、
ノートに単語を10回ずつ書いて提出!のような課題はやらずに、
空いた時間を数学や他の教科の勉強時間に回すことは「主体的」でないのかしら?

むしろ、後者の方が「主体的」な気がするけれど、
自分一人、見えないところでコツコツと努力し続けたことを評価するのは難しい。
すると、結局、先生にわかりやすい形でアピールできる子ほど、
「主体的」であると判断されるのではないか。
逆に言えば、高評価をもらうためには、見られていることを常に意識して、
先生にどこを切り取られてもいいようにしておかないといけない。

つまり、四六時中『いい子ちゃん』を演じる必要があるのだが、
一方で、それでは悪目立ちするかもしれない。
クラスメイトの鼻についてしまうのも嫌だが、
先生に一度でもウソっぽいと思われたりしたら、挽回も難しいかもしれない。

学校に行くのがなんだかとっても疲れそうだ。