しつこく想像力について②

さて、スナフキンなんぞに子育てを語られたくない!
という声がいよいよ聞こえてきそうなので、少しずつ本題に。

例えば、病気で仕事を長く休んだり、あるいは、辞めたり(転職)したことがなければ、
全く伝わらないのかもしれない。
もちろん、同じ職場で同じ仕事をずっと続けていることは素晴らしいことである。
だが、キツイ仕事だろうが、過度な重責がかかろうが、少々体調が悪かろうが、
なんだかんだで頑張れてしまう人。
それが大人として、社会人として「普通」のことだと思っている人。
そういう人の中に、自分の思う「普通」を
他人にも当てはめ、押し付けてしまう人がいる。

はたして、その人の「普通」は、本当に「普通」か?
もしかしたら、相当特殊な一例でしかないかもしれないのに、
勝手に「普通」という多数派の威を借りて、そうでない人を攻撃してはいないか。

 

日々なんとか踏みとどまって仕事を続けていたけれども、
身体や心に不調が現れ始めて、遂に休むことを選択肢に入れた人、
そういう人の気持ちや立場をおもんぱかれるだろうか。
そういうときに、傷ついている人を弱い人だと決めつけて、
「簡単に休むな!」なんてことを言ってくる上司がいたら…
そう言われた人は、そう遠くない将来、その職場を去るのではないだろうか。

この場面で、その弱っている人と上司と、どちらの立場に共感するかで、
その人その人の送ってきた人生が見えてくるように思う。

上司側の意見として、「昔はそんな簡単に休む人はいなかった」とか、
「あなたが休んだことで、他の人の負担が増えることに責任を感じないのか」とか、
「そんなことでは、どこにいっても通用しないぞ」とか、
こういう言葉をよく目にする(耳にする)。
だが、そこでかける一言で、仕事を辞められてしまうかもしれない。
それどころか、相手の人格を傷つけるかもしれない。
そっちの方が、上司としての責務を果たしていないとは言えないだろうか。
こういう場面で、辞めていく人のことや、どんな声をかけたかなど
いちいちおぼえていないというのは、まさにイジメっ子の論理だと思う。

そのような上司の言葉に対して、
残念ながら今は昔ではない(そんなのは竹取物語で十分)ですし、
他の人の負担が増えるのは、私のせいではなくてシステムの問題であって、
むしろそれをどうにかするのが上司の仕事です。さらには、
どこにいっても通用しないかどうかは、心配ご無用。余計なお世話です。
大体、そういうあなただって、他のところに行って通用するかどうかは…。

と、売り言葉に買い言葉の言い争いをしていても仕方ないが、
とにかく、その上司自身もわかっておいた方がいいと思うのは、
自分(その上司)だって、いつ心身に不調をきたすかわからないということだ。
それまで、どんな環境でもどんな仕事でも、
適応できなかったことがなかったからといって、今後ずっとそうだとは限らない。
ある日突然、病気になったり怪我をしたり、あるいは何らかの理由で
今までの自分と同じようにはいかなくなる可能性がある。
そうなったときの自分に、先にかけたような言葉をかけてほしいだろうか。

そう考えたとき、「学校休みたい」という言葉に対して、
その上司のような接し方をしてしまうのは、良いことが何もないと思う。