「ウチの子、理科ができなくて…」
というような相談(理科限定の話ではない。)を受けることは多い。
だが、例えば、『天体』は苦手だけれど、『植物』は得意であるとか、
『浮力』はよくわからないけれど、『水溶液』ならある程度わかるとか、
そういう「できる」ところを無視して、
理科全般が「できない」と決めつけてしまうのは、かえって良くないと思う。
そして、理科が苦手といっても、その原因が本当に理科の問題なのかどうか、
そこが実は肝心だったりする。
例えば、そもそも理科の勉強を「していない」のなら、
そりゃぁもうお話にもならない。同様に、
授業を「聞いていない」、問題文を「読んでいない」、
最低限おぼえるべきところさえ「おぼえようとしていない」のであれば、
理科ができるようになる理由がない。
また、これは5月のブログでも書いたが、
「理科をできるようにしたい!」と思っていなければ、
机に向かう時間ばかり増やしても、なかなかできるようにはならない。
気乗りはしなくても、そして、積極的に好きにはなれないとしても、
せめて、どうせやるなら「やるしかない」と思った方ができるようになる。
さらには、「継続する」こと「習慣化する」ことが大事だ。
テスト前だけ勉強するような一夜漬け勉強では、
その場は乗り切れたとしても、忘れるのも早い。
そうすると、復習テストや、模試のような場面で、
本当の力がついていなかったことが露呈してしまう。
蛇足だが、サーパスの算数が、全体のレベルとして高い位置にあるのは、
家で算数をほとんどやっていなかったとしても、
塾内で、かなりの量を継続してやらせているからだと思う。
授業時間も他の科目より長いし、僕らの目の前で問題を解かせて
手元を確認しているのが、とにかく大きいと思う。
話を戻して、では、理科をできるようにさせるにはどうしたらいいか。
冒頭に書いたように、これは理科に限った話ではなくて、
社会についても、算数、国語についても、
あるいは中学に入ってからの英語についても同じことなのだが、
できるようにさせるためには、例えば、問題集を解かせればいいとか、
そういう単純なことではない。
むしろ、そういう手っ取り早いところに解決方法を求めてしまうことこそが、
問題であったりもする。
特に、子どもは「できない!」「苦手!」「嫌い!」と思ってしまうと、
「もう無理」「やったってどうせできない」とヤル気をますます起こさなくなる。
ヤル気の無い中で、仕方なく机に向かったとしても、
「おぼえられない」「全然わからない」、こんなことやって「何の意味があるの?」
と、勉強ができるようになるとは全く思えない心持ちで臨むようになる。
周りの大人が、あなたは理科が「できない」「苦手」などと言おうものなら、
その状況には拍車がかかる。「できないんだから仕方ないじゃん!」になる。
勉強すればできるようになる。勉強しないとできるようにはならない。
大人からすれば、もちろんその通りなのだけれど、
子どもにしてみれば、勉強しなさい!と、口だけ出してる大人はいいよね!
というところだろうか。
それで、冒頭の話に戻ると、「できない」レッテルを貼るのではなくて、
「できている」ところを見てあげてほしい。
勉強を隣について教えるより、何を何時間やらせるかより、
そっちの方が大事だと思う。