大変さを慮ってもらえるだけで

ここ5年くらいの話であるが、友人から、
「来年、子どもが中学受験なんだよ。」
「いやぁ、中受キツイね。」
「俺(私)、よくこんなのできたわ!」
「子どものとき、どうやってやってたんだろ?」
「もうね、家庭内がピリピリしてるよ。」
「飲み会があるんだけど行っていい?なんて、冗談でも言えない空気だよ。」
と、相談というか愚痴というか、嘆きのような話を聞かされる。

 

事実として、某大手塾が隆盛になったことで、
(その塾を中受のスタンダードとして考えてしまうと)
学習量(宿題等)が昔より格段に増えてしまったことは否めない。
また、中学受験する子どもの数が増えたことで、
受験まで随分と日にちがあるうちから、
激しい椅子取りゲームを始めてしまっているような感覚も強い。

入試で出題される問題のレベルについても、学校のレベルが上がれば上がるほど、
単純に知識を問う(おぼえているかどうか)問題よりも、
その場で考えさせる問題が増えている。
大人であれば、それまでの学習経験、人生経験で
わかる問題、解ける問題があるかもしれない。
さらに中学受験経験者であれば、ちょっと勉強し直せば、
小学生当時よりも(経験が増えた分)解ける問題が増えるかもしれない。
だが、それは大人だからだ。

付け加えるならば、「解き方は(塾で)教わっているんだろう?」
「教わっているのになんで解けないんだ?」と思うのも、大人だからだ。
さらには、期日を意識した勉強ができるのも、やっぱり大人だからだ。

小学生がやる(受験に向かう)から難しいのだ。

 

自分(友人)が勉強して、改めて中学受験をするという話であれば、
自分次第ということになるが、それを子どもがやるというのが、何よりも難しい。
親(友人)もできることはやるし、必要なサポートもするけれど、
親ができることなんてたかが知れているし、親が頑張ったって仕方ない、
ということでの「いやぁ、中受キツイね。」という感想である。

そういう話を聞かされたときに僕の返す言葉は、
「大変なことをやってるんだなって、親にわかってもらえてるだけでも、
子どもはありがたいと思うよ。」である。
偏差値がどうとか、学校のレベルがどうだとか、その結果で人生が決まるとか、
そういう言葉は、脅しとして勉強に向かわせることには繋がるかもしれないが、
子どものヤル気や勢いには繋がりにくい。

中学受験経験者から見ても、中学受験はキツイのだ。