応援なのか、そうでないのか。

目標が決まると頑張れる!という側面は間違いなくある。
志望校がいつまでも決まらない子よりは、
行きたい学校が明確な子の方が、努力に身が入る可能性が高い。
しかし、そもそもの話になるが、
行きたい学校(進路)って、どうやったら決まるのだろう?

 

高校3年生になる卒業生が、
「(将来)やりたいことがまだわからないから、とりあえず
レベルの高い大学を目指そうと思う。」と言っていたが、
このように、高校生でさえ進路決定をするのは難しい。
東大や、慶応、早稲田に行きたい!というのは、ある意味わかりやすい。
学校のことをよく分かっていなくても、漠然とトップを目指す感覚である。

でも、どこが自分の一番行きたいところか?
どこが自分にとって一番良い選択か?
それを、通ったこともないのに決定する決め手は何だろうか。
高校生を例にしてみたが、社会人になろうとする人だって
自分のやりたいこと、就きたい業種が明確にある上で、
就職活動できる人は、どの程度いるのだろう。

 

目標がないとなかなか頑張れないから、まず目標を決めさせたい気持ちはわかる。
自分の人生なのだから、進路は自分で決めなさい!というのもわかる。
でも、決められるなら、とっくに決めていると思う。決められないから悩むのだ。

 

それでも(大学受験を控えた)高校生や、(就職活動をする)大学生なら、
ある程度は、自分で自分の進む道を決断することが可能だろう。
そしてまた、選んだ道に100%の満足を得られなかった場合でも、
自分の気持ちに折り合いをつけながら、その道を歩んでいくことや、
その道から離れて、新たに違う道を選び直すことができると思う。

しかし、小学生はそういうわけには、なかなかいかない。
10年程度の人生経験では、そんなに先のことは見通せないし、
自分の意思で、途中から違う道を選択することも難しい。

一番厄介なのは、子ども自身に選ばせようとしておきながら、
子どもが「親の望まぬ学校」を志望した場合に、そこはダメ!となるところだ。
また、半ば強引に、子ども自身に志望校を決めるよう仕向けておいて、
合格に届かないかもしれないと不安を感じたら、
「そんな勉強じゃ受からないぞ!」と怒り出す人もいる。
それはもはや応援とはいえない。

 

余談だが、10年、20年前までは、体罰当たり前の塾が結構あった。
点数を取れないと、物差しのようなものでピシャリと叩かれる。
生徒は恐怖心から勉強する。その結果、合格できたとしても、
この受験勉強が良い人生経験になるのか、僕には疑問である。
今、体罰をおこなう塾は減ったが、相変わらず言葉の暴力は減っていない。
合格できたとしても心に傷が残りそうなのに、ましてや…。