考えてやってみるしかない

一昨日の記事であるが、
『フランスのコロナ休校「在宅授業」が「用意周到なのに失敗」したワケ』
を読むと、学校が「オンライン授業」に踏み切れない理由がよくわかる。
(日本では準備さえしてこなかったわけなので、
フランスと比べることすら、おこがましくてできないが。)

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/72148

もちろん、やってみる前から「できない」「どうせ無理」と言って、
やらない(試してもみない)のは本当に良くないと思う。
だが、今は非常事態だから、
恩恵を受けられる人とそうでない人の不平等が生まれても仕方ない。
できることからやっているのだから、そこは目をつぶってもらおう!
というのは、少なくとも公教育なら違うと思う。
だから、猫も杓子もオンラインというわけにはいかない。

かといって、学校を安全に再開できるメドもたたない。
テレビなどで毎日発表される新規感染者数が減れば、
学校は再開するのかもしれないが、それだって安心できる理由にはならない。
だとすると、今の状況が今後も続くという想定が必要になってくる(と思う)。

 

中学受験塾なんかはまだいい。通われているご家庭の多くは、
おそらくインターネットなどの環境も、ある程度整っている可能性が高いし、
仮にまだ整っていなくても、今後を見越して準備してくださる方が多いと思うから。
高校生も(中学生は半々かなぁ)まだどうにかなる。
何のために勉強するのか(またはしないのか)を自分で判断できるから。
また、すでに映像授業のような勉強法にもだいぶ慣れていると思うし。

でも、それだって、うまく活用できる人と、そうでない人の差は出る。
まぁ、それを言い出したらキリがないと言うのもわかるけれど、
なんとか、1種類の方法ではなくて、2種類、3種類の方法を準備して
選べるようにできないだろうか。
Aの方法を選んだ人は、Bを利用してはダメ!ということではなく、
AとBの併用も可にするとか。

 

勉強は家でもできる。学校は全てが落ち着いてから再開すれば良い。
そりゃそうだ。
今の時代、勉強は、命をかけてまでするものではない。

わざと、今の時代と書いた。
今ではない時代、歴史の教科書を開いてみれば、
命がけで勉強していた人が過去にはいたはずだ。
では、未来はどうなのだろう?そんなこと誰にもわからない。

今、命をかけてでも勉強した方がいい!ってことではない。
ただ、勉強をいつまでも後回しにはできない。
全てが落ち着いたら…以前と同じ日常が戻ったら…
をアテにするより、今できることを大人が考えないといけない。