ちょっと難しい話

もう間もなくゴールデンウィークですね。
と言っても、ゴールデンなウキウキ感はどこにもなく、
旅行どころか近場の外出さえ憚られるような、
この数週間と何一つ変わらない日々になりそうです。

学校についても、5月6日までが休校期間のように言われていますが、
すでに5月いっぱい(31日)まで延長した自治体もあるようですし、
横浜市も今後どうなるか、全くわかりません。
なんとか、カリキュラム(?)か、出席日数(?)の帳尻を合わせるために、
今年はもう夏休みも無い!と発表した県もあるようですが、
夏になったら学校を再開できるという保証だって、どこにもありません。
(熱中症対策で、教室を閉め切って冷房をつければ、
それこそ密閉空間になる!と話題にあがっていますね。)

 

さて、昨日の内田樹氏のブログ「コロナ後の世界」の中で、
(政治的な話はここでは極力抜きにして話します。)
2つ、自分事として考えておいた方がいいと思うことがありました。

http://blog.tatsuru.com/2020/04/22_1114.html

1つ目は、かなり後半の部分で、
『コロナ禍のもたらす消費の冷え込みで、基礎体力のある大企業は何とか生き残れても、中小企業や自営業の多くは倒産や廃業に追い込まれるでしょう。(中略)このままゆくと、日本社会は「一握りの富裕層」と「圧倒的多数の貧困層」に二極化する。』

2つ目は、(1つ目よりも前の)中盤部分で書かれている
『リスクヘッジというのは「丁と半の両方の目に張る」ということです。両方に張るわけですから、片方は外れる。リスクヘッジでは、「準備したけれど、使わなかった資源」が必ず無駄になります。「準備したが使用しなかった資源」のことを経済学では「スラック(余裕、遊び)」と呼びます。スラックのあるシステムは危機耐性が強い。スラックのないシステムは弱い。』

それぞれ、企業や国といった規模の話ではなく、自分のこと(例:勉強)に
置き換えてみても通じるところがあるように思います。
「一握りの優秀層」と「圧倒的多数の○○層」や、
「5月6日で休校が終わった場合」と「終わらなかった場合」のように。

 

ちょっとだけ政治に絡んだ(後半)部分も取り上げると、
『独裁制では集団成員が「子ども」である方がうまく機能する。だから、独裁制は成員たちの市民的成熟を求めない。「何も考えないでいい」と甘やかす。その結果、自分でものを考える力のない、使い物にならない国民ばかりになって、国力が衰微、国運が尽きる。』
と、こうあります。

国力がどうのこうのは、まだピンとこないと思いますが、
考える力がないばかりに、使い物にならない国民として、
ぞんざいな扱いを受けたり、いつも犠牲になったりするのでは、
嫌だと思いませんか。