『自由』を校風としていた学校があった。
勉強をするのも自由。しないのも自由。
部活をするのも自由。しないのも自由。
先生からは何も強制されない。
その代わり「自由には責任が伴う」との重い一言が添えられる。
先生が進路指導を熱心におこなうことはない。
顧問の先生が部活に顔を出すこともない。
文化祭も体育祭も生徒主導。修学旅行の行き先も生徒が決める。
だけど決して放ったらかしではないし無責任でもない。
「自由には責任が伴う」と同時に「自由にさせておくのにも責任が伴う」から。
管理してしまう方が楽。
管理されてしまう方が楽。
『自由』は本当は決して楽ではない。
だけど今はその学校も『自由』ではない。
「面倒見よくして欲しい」
「提出物の管理を!」
「大学合格実績は?」
「部活も頑張らせて!」…
ここ10年そんな声が増えた。
ニーズに応えないと生徒が集まらない。
だからすっかり『自由』ではなくなった。
時代のニーズに合わせて変化が求められる。
確かにそれも必要だろう。
だけど、カラーを失った学校では、他の学校との差がわからなくなった。
学校が均一化されてしまった。
そして、自由を失った学校からは責任さえもなくなった。
子どもも大人もオトナになれなくなった。