国語力をつけよう①

スマホや旅行ツアーを契約したときの契約書、同意書、注意事項…
あるいは、電化製品の取扱説明書や保証書などなど。
最初から最後まで、隈なく目を通した方がいいとわかりつつも、
ザァーっと流し読みする方って、結構多くいらっしゃるのではないだろうか。

ちゃんと読まないといけない!とわかっていても、読む気が起きない。
読もうとしても、少々難しい言葉や専門的な言葉もあったりして、
どうにも頭に入ってこない。とにもかくにも面倒くさい。
そんな経験を1度や2度でもしたことのある方ならイメージできると思う。

国語のできない子の読み方は、これに近い。
物語であっても同様で、読まなきゃいけない(と言われた)から、
読もうとはしているけれども、ただ文字だけを目で追っている状態であって、
状況(いつ・どこで)を把握もせず、登場人物にだれがいたかも注意しない。
ザァーっと流し読みして読んだ気にはなっているが、
内容やあらすじを聞いても、あまりおぼえていないし、
場面の起伏や伏線に気づくこともなく、心に残った場面さえない。
そんな読み方をしている。

実は、大人にも同じような読み方をしている人がいるかもしれない。
さすがに、国語の苦手な子どもよりは、読むのも上手だろうし、
おおまかな内容をつかむこともできるだろうけれど、
その後に問題を解かされるとしたら、案外「自信ない!」と言う人もいるかもしれない。
普段、通勤電車内で読書をしているような人であっても、自分の好きな本ではなく、
手に取らないような内容の本に対しては、雑な読み方をしてしまうかもしれない。

そういう意味では、「なんでこんなに国語ができない子に育ったのだろうか?」
と子どもの国語力を嘆く親だって、自分の小学生時に、
もし、その(我が子が対峙している)問題に取り組んでいたら、
同じように四苦八苦していたかもしれない

 

少々脱線するが、僕は、学力に遺伝が関係するという考え方を好まない。
体格とか、運動神経などであれば、遺伝の影響もあるとは思うけれど、
こと勉強面に関しては、遺伝を理由にしない方がいいと思っている。

しかし、実際は、その方面の研究によれば、
理系の能力には、遺伝の影響がないとは言い切れないらしい。
だが、そうだとしてもなお、遺伝よりも、育て方とか声のかけ方とか、
親の興味の偏りとか、無意識の癖とか、そういう後天的な
影響の方が大きいのでは?と個人的には思っているが、面白いのはここからで、
いわゆる国語力には、逆に遺伝の影響がほとんどないらしい。
すなわち、今挙げた後天的なもので、国語力は育つということである。
国語力は家庭力とまで言い切る人もいるくらいである。