国語力をつけよう②

もちろん、サーパスは学習塾なので、国語力の問題を家庭に丸投げはしない。
だが、例えば、「国語なんて教わらなくてもできるだろ!」と放言する大人はいるが、
あるいは、「何のためにお金払って塾に行ってるんだ!」と言う大人もいるが、
そうやって国語を放ったらかしにしてきた結果が、今の国語力であるかもしれない。
と、ちょっとでもそこに責任というか、共通の意識を持ってくださるなら、
今までと同じように過ごしていてはよくない!と思っていただけるのではないか。

また、「自分は何か特別なことをしなくても国語ができた!」とか、
「学校や塾に行って勉強していればできるようになった!」
と思っている大人もたくさんいると思うけれど、
前回のブログで書いたように、国語力はどうやら遺伝ではないようだし、
後天的な、それこそ家庭環境によって育つ(育たない)ものでもあるようだから、
とすると、自分の気づいていないところで、
環境を整えてくれていた人がいたのかもしれない。
あるいは、ひょっとしたら取り巻く環境自体も偶然の産物だったのかもしれないが、
とにかく、自分の国語力は、自分一人の努力でついたものではなかったのかも…
と、そういう気持ちになれたら、自分の受けた恩を今の子どもたちに返そう!
と思えるかもしれない。

 

さて、それで、その国語力をつけるために、
サーパスでは、音読と意味調べを日々の宿題としている。この場面でまた、
「自分が子どもの頃、音読なんてしたことがない!意味があるとは思えない!」
と、ご自身の経験だけでその価値をはかろうとする方が出てくる。
疑問に思うことは悪くないし、効果を知りたければ聞いていただいて構わない。
だが、宿題をやらせるかやらせないかはこちらで決める!とばかりに、
勝手に音読をカットされてしまうと困ってしまう。

蛇足ではあるが、一つの例で、今の親世代が子どもの頃、
足腰を鍛える方法として、うさぎ跳びなるものがあったと思う。
『巨人の星』『エースをねらえ!』でも見かけたのではないだろうか。
だが、今、足腰を鍛える方法として、うさぎ跳びをやっている人など全く見ない。
腹筋の鍛え方でさえ、今と昔で随分と違っている。
それと同様に、勉強法も時代とともにアップデートされるのだ。
「自分が経験したことがない」=「意味がない」という発想は、
むしろ、時代錯誤でさえあるかもしれない。

まぁ、音読については、アップデートというよりは、
今の状況的に、やむにやまれず宿題にしているようなところもある。
そうでもしないと不足分を補えない。そういう感覚にも近い。

まぁまぁ…それでも音読をやらない自由はあっていいとは思う。
しかし、サーパスの授業は音読の宿題をやってきたことを前提として進めるし、
宿題をやらない子のクラスを上にする理由もない。
少なくとも、それをやらない状態で「国語が伸びない」と言われても…
私たちにできることはない。