AIを活用する側、そうでない側

「世の中がこんなに文明化してくると、人間のすることが何もなくなってしまう。
ぜんぶ機械がやってくれるのだ。」
これは、筒井康隆氏が昭和40年代に書いた
『にぎやかな未来』というショートショートの書き出しです。
ここ数年のAIの進化のスピードは、皆さまご承知の通りだと思いますが、
この未来を昭和40年代に筒井康隆氏は予測していたのでしょうか。

さて、こういう状況になってきますと、何のためにAIを開発したのかわからない。
これでは本末転倒だから、AIを使うのを止めよう!
AIの開発をこれ以上進めるのは止めよう!
と、そんなことを考える人も出てくるかもしれません。
しかし、そんな後ろ向きのことを考えたところで
開発はますます進むでしょうから、どうそれを活用するのか、
どう活用すれば未来をよりよくできるかを考えていくべきです。

一つの例を挙げます。
将棋界で大活躍の藤井聡太さんが、将棋のAIソフトを活用しているのは有名です。
ひと昔前の話で言うと、チェスやオセロのようなゲームと違い、
取った駒を自分のものとして再利用できる将棋では、
AIは人間の思考には勝てないと言われていたことがありました。
しかし、今ではAIは飛躍的な進歩を遂げています。
にもかかわらず、その事実を受け入れずに、
機械なんぞに負けてたまるか!AIなんかに頼ってたまるか!
と、AIソフトの活用を拒絶していたら、
いくら藤井さんであっても今のような活躍はできなかったかもしれません。

一方で、AIに頼りっきりで今の活躍ができるわけでもありません。
何も考えず、何も学ばず、便利なものに頼っているだけであれば、
いつしかAIを使用する側から、AIに囚われる側に回ってしまうかもしれません。
AIを活用するのにも、努力や知恵が必要なのです。

 

しかし、これは口で言うほど簡単ではありません。
例えば、パソコンやスマホでメールのやり取りをしている方は多いと思いますが、
その漢字変換機能に慣れてしまった結果、
簡単な漢字さえ思い出せなくなったという経験はないでしょうか。
便利なものに頼りすぎると、本来持っている能力まで低下するということは、
経験上あるように思います。

要は、これからますます便利なものを利用するようになるからこそ、
私たちはちゃんと学んでおかなければならないのです。
誰でも使える便利な道具や、安易な解法や公式、
あるいは無思考な丸暗記に頼るのではなくて、考える力を養うべきなのです。
しかし、その考える力の養い方は、人の話(授業)をよく聞き、
問題をよく読み、手を動かしながら体得していくものです。
便利とか安易とかとは程遠い、地道な作業を必要とするものです。

 

サーパスの授業を体験、あるいは見学していただければ、
私たちの意図するところは伝わると思います。
塾の授業は楽しいに越したことはありませんが、
「楽しいだけ」の「わかったつもり」で帰ってくるのでは力が着きません。
ときには、「考えても考えても全然わからない問題があった!」
という経験をしても良いように思います。そして、こういうときに、
多くの塾ではそのわからなかった問題の理解を家庭に求めることが多いのですが、
サーパスでは、そのわからなかった問題を
全てそのタイミングで理解しなければならないとは考えていません。
物語の伏線回収のように、先で繋がるときがきます。
都度、安直な結論や達成感を求めていては、大きな成長は望めません。
「急がば回れ」で土台を形成してほしいと思っています。