小学校低学年のうちにやっておいて欲しいこと

4年生の算数の問題

『お財布の中に100円玉が3枚、50円玉が3枚、10円玉が7枚、5円玉が3枚、1円玉が3枚入っている。239円の買い物をした後、お財布の中の硬貨の枚数が最も少なくなるような支払い方を考えよう。それぞれ何枚ずつで支払えばよいか。』

この問題、算数が得意でなくても、解ける可能性はある。

○○算と名前がついているような特別な解き方を必要としない分、

4年生でなくても解ける子は解けるんじゃなかろうか。

だが残念ながら、4年生でも年々解ける子が減っている。

「100円玉を2枚と50円玉を1枚」と答える子や

「100円玉を2枚と10円玉を4枚」と答える子が増えている。

これじゃ算数の問題にならない。

もちろんじゃらじゃらと小銭を支払えば、相手に迷惑がかかるかもしれないから、

これを実生活での経験不足と言い切っていいかはわからないが、

こういう力は机に向かっている時に身につけるものでもない気がする。

トランプの絵札と言われて、絵札って何だ?という子も多くなってきた。

お年玉付き年賀葉書と言われて、何それ?という子も増えた。

知らなくても生きていけると言えばそうだ。

でも、問題を作っている大人は、まさかそれを子どもが知らないとは思っていない。

きっとお父さんお母さんも、まさか自分の子がそれを知らないとは思うまい。

こんなこと習わなくてもできた。いつの間にか身についていた。

と、大人は言うだろうけれど、それがなぜか身につかない風土になってきている。

子どものせいではあるまい。

(大人が)自分が子どもの頃はできたという主張も、意味をなさない。

塾でもこういった「まさか知らないなんて…」ということをできるだけ確認していくけれど、

中学受験するとかしないとかに関係なく、家庭レベルでも補って欲しいと思う。