寝室からずるずると平行移動して、次はトイレと洗面所の床を磨く。遠目でみるときれいな洗面所の床も、隅の方には綿埃と髪の毛と洗剤の粉が凝固したかなりタフなゴミが付着している。
そぎそぎ。
『エマ』を読むと、こういう「雪かき」仕事はぜんぶメイドがしている。ご主人さまたちはご飯をたべたり、葉巻を吸ったり、散歩をしたりしている。
だが、こういう仕事をまったく経験しないまま一生を終える人間は、「何か」に触れそこなったことにはならないのだろうか。
(中略)
とくに達成感があるわけでもないし、賃金も払われないし、社会的敬意も向けられない。けれども、誰かが黙ってこの「雪かき仕事」(ここでは家事を指す)をしていないと、人間的秩序は崩落してしまう。
(中略)
世の中には「誰かがやらなくてはならないのなら、私がやる」というふうに考える人と、「誰かがやらなくてはならないんだから、誰かがやるだろう」という風に考える人の二種類がいる。
内田樹『村上春樹にご用心』より
この文章は作者が年末に大掃除をしている場面から始まっているのだが、
この最後の段落に書かれている内容は、今の社会に警鐘を鳴らしている気がする。
自分の努力にはつねに正当な評価や代償や栄誉が与えられるべきだ
と思っている人間(知的労働者)は、
感謝もされず対価も支払われないような仕事は仕事でなく、
純粋に時間の無駄でしかないと判断するのかもしれないが、
この「雪かき仕事」を誰かが引き受けてくれているからこそ、
人間世界の秩序が保たれてきたのだと作者は語る。
今の社会には「誰かがやってくれるはず」と「余計なことを引き受ける=損」
という感覚が蔓延っているように思う。
例えば、サーパスは現在オフィスビル内にあるので、
トイレが汚れていたとしても、清掃員のおばさま達が掃除してくれる。
だから別にトイレ掃除をする必要はないのだが、
だからと言って汚していいわけではないし、ちょっと気になる汚れがあった時には、
いつもそのトイレを使わせてもらっているのだから、
サッと紙で拭き取ったっていいと思う。
ゴミが落ちていた時に、「自分が落としたゴミではない」から拾わない。
「落とした人が拾うべき!」
もちろんそうなのだけれど…それにあまりに拍車がかかると、
上で出てきた知的労働者のようになってしまわないかと、ちょっと心配になる。