「普通」は「普通」にしていると手に入らない。

昨日の朝日新聞を読んだ方も多いかもしれないが、
私立大学では今年も合格者の数が絞られた。

早稲田大学は、昨年よりも合格者の数を2000人減らしている。
つまり、昨年までなら早稲田に入れていたはずの2000人のうち、
(全員とは言わないまでも)相当な数の人が、
ランクを下げた大学に通うか、浪人を選択することになっていると思う。

昨年通りの合格者数なら早稲田に入れた人が、
ランクを下げた学校(例:GMARCH)に進学することになると、
玉突き現象で、そのGMARCHに入れるはずだった人は、
さらにランクを下げた大学に進学するしかなくなってしまう。

ちなみに、昨年も私立大学は合格者の数を絞っていたが、
昨年絞った分の影響を受けたのは、例年の合格ラインすれすれの人たちである。
そしてもちろん、今年は今年のラインすれすれの人たちに影響があったわけだが、
その2000人は、例年なら合格ラインすれすれだった人たちではない。
合格ラインを優に超えていた人たちである。

浪人することが、そこまで珍しくなかった世代からすれば、
「それが受験であって、一昨年くらいまでの、少し緩い(合格者が多い)システムから
正常に戻っただけ!」
「受かる人は受かる。実力が足りないから受からない。勉強するのみ!」
という意見が出る。あるいは、
「いやいや、AOのような推薦で入学してくる人と、
一般受験して入ってくる人の学力差を考えたら、
推薦の枠を減らすべきで、一般受験の枠を減らすのはおかしい!」
という意見もある。

まぁ、とにかくほんの数年前と状況が変わったことは間違いない。
そしておそらく、変化はまだ続くと思う。

そこまで遠くない将来、
大学は今よりも積極的に、外国人留学生を受け入れるようになる。
大学によっては、生徒数の半分を留学生にしようとする考えもあるという。
就職活動でも、外国人とイスを争わなければならない時代が来ている。

「大金持ちになって欲しいとか、偉くなって欲しいとか思ってない。普通でいい。」
と、そんなことを思う親御さんはたくさんいらっしゃると思うけれど、
その「普通」が、親の世代が過ごした「普通」とは変わってきている。

蛇足になるが、「英語力」は間違いなく必要である。
そこに異論はない。できないと、まず受験で勝てない。
しかし、「英語力」だけで勝負して、外国人に勝てるかな?究極的なことで言えば、
AI(人工知能)の翻訳(通訳)機能に任せれば、そこまで必要はないかもしれない。
(このことは、外国人のみならず、AIもライバル(?)であることを示している。)

「英語力」よりも必要なことが確実にある。
「普通」の収入。「普通」の生活…。
まぁ、どの基準で「普通」というのかわからないが、これからはますます、
「普通」に生きているだけで「普通」が手に入る時代では、どうやらなさそうである。