今日の6年生の3時間目の授業は、理科の工作でした。
理科は全くの専門外ですので詳しい説明はできませんが、
電磁石の考え方を使った工作です。
この工作の工程を毎年のように見ていますが、
全体として言えるのは、年々生徒の手際が悪くなっているということです。
バカにしているわけではありません。
勉強ができるかどうかとか、
成績がいいかどうかとか、
電磁石の理論がわかっているかどうか
というところで言うと、毎年そこまでの差はないように感じられるのですが、
ただ単純に「(作り方の)説明書を読んで、その通りに作る」
という実体験が圧倒的に不足しているのを、年を追うごとに感じるのです。
積み木、レゴブロック、ジグソーパズル、プラモデル、ミニ四駆…
といった遊具は、今どきあまり流行っていないかもしれません
(そして後ろの2つは別に奨励しません(笑))が、
説明書や完成図とにらめっこしながら、
黙々と、何時間でもそこに費やすような経験をあまり持たないようです。
乱暴な言い方をするのであれば、
電源を入れるとそれだけで遊べてしまうゲーム世代ということなのでしょうか。
「これ切っていいの?」
「これとこれをつなげばいいの?」
「次、どうしたらいいの?」(笑)
全部説明書に書いてあります。しかしそれを注意深く読むことができません。
また忍耐力をつけていないので、すぐに結論を欲しがります。
「よくわからないけど、切っちゃえ!」と切ってしまって後から困る子もいれば、
失敗を怖れて何も行動に移せない子もいます。
最終的な完成型を一切想像することなく、
目先のことだけをやろうとするような面も増えました。
ただ、生徒たちの名誉のために言っておきますが、
彼らに何か非があるわけではありません。とても優秀な子たちです。
きっと、今の社会に問題があるのです。
まぁ社会のせいや人のせいにしたって何もいいことはないのですが、
かつては一見無駄と思えるようなことでもじっくり腰を据えてやることに
価値があったと思うのです。
間違えたって失敗したって、いえむしろ、間違えて失敗すること自体に
価値があったと思うのです。
それが今は、とにかく速く正確に答えを出すことが
求められすぎているように思います。
そしてもっと言うと、失敗しないようにと
周りの大人が手を差し伸べ過ぎる時代になっているのだと思います。
作り方を1から10まで説明してその通りにできたとしても、
「それって楽しい?そんなの意味ないじゃん!」
と言うのがおそらく昔の世代です(笑)。
今は「1回作り方を全部教えてくれたら、次からは自分で作れるようになるよ!」
という時代です。
時代の違いと言えば確かにそうなのですが、
危機に強いのはやはり前者なのではないかと思います。
失敗することにも価値がある。
それでも失敗したくないなら、よりしっかり読む。そして考える。
そういったことに、今からじゃ手遅れなんてことはありません。
大学生や社会人になってからだって価値があることです。
そう思ってみませんか?