「聞けない」にも色々ある。
聞いてもどうせわからないと、諦める癖がついている。
このケースは、子どもにかなり多い。
逆に、変に自信過剰というか、
すでに知っていることだから、聞かないという人もいる。
あるいは、お店で流れているBGMのように、
「聞こえている」を「聞いている」だと思っているような、
「聞く」とは、そもそもどういうことなのかをわかっていない人もいる。
家でむりやり勉強させられていたり、常に怒られていたりして、
すでに脳も心も疲れているから聞けないという子もいる。
また、話の内容や要求が、その人の成長レベルに合っていないから、
あるいは、言い方が受け入れられないから、聞けないということもあると思う。
我が身を振り返ってみても、ありがたいお言葉を聞き入れられず、
無駄にしてしまったことは数えきれないほど多い。
そして、最近、急激に増えている「聞けない」タイプは、
人が話している最中に、自分の話したい話をかぶせてくるタイプである。
これは、子どもにだけ見られるものではない。
一昔前、日本人が外国人と会議をするような場面での問題として、
「日本人は人の話を聞き過ぎて、自分の意見を言わない」
というようなことがよく言われたことがあった。
もちろん、話をかぶせてくるタイプが増えた話と、この話は全く違う話である。
話をちゃんと聞いたから意見を言わないわけではない。
(単に英語力の問題だっただけかもしれない。)
少なくとも、話をきちんと聞けるのは、日本人の長所であったと僕は思っている。
きちんと聞いた上で、相手の意図や気持ちに沿った返事をする、
あるいは、自分の意見を敢えて言わずに、聞き役に徹する。
そういった良さを失うのは、とても残念でもったいないと思う。
では、なぜ人の話を聞かずに、自分の話をし始めてしまうのか。
統計を取ったわけでもないし、その道の専門家でもないので、
これは予想でしかないけれど、承認欲求の1つの現れなのではないか。
もし、この予想が当たっているなら、それを否定や制限しても仕方ない、
というか、事態は改善されない。
大人の承認欲求については、正直、僕にはどうにもできないけれど、
子どもの承認欲求は満たしてあげた方が、後々のためにも良いと思う。
お父さんもお母さんもお忙しいと思うけれど、
是非、子どもの話をもっと聞いてあげてほしい。
できれば、何かをしながらではなくて、目を見て聞いてほしい。
そこで初めて、「聞く」という行為は、何かをしながらするものではない
と、子どももわかってくれるかもしれない。