たった1の差でも、本当は大きな差であるという話。

公立中学での内申点は5段階評価で、「5」が一番優秀な成績である。
そうすると、大体の人は、
5、よくできる 4、できる 3、普通 2、できない 1、かなりできない
と、こういうイメージで、5つの数字を捉えると思う。

だが、高校受験を教えていた経験で、無茶苦茶なことを言わせてもらうと、
(提出物や授業態度、印象値といったものを除いたとして)
5は、よくできる、または、できる
4は、どちらかと言えばできる、または、できないという程悪くはない
3は、基本レベルでできないことが結構たくさんある…(2以下は省略)
と、こういう印象だった。

実際に、「鎌倉時代と平安時代って、どっちが前?」
なんてことを、テスト直前になって確認しているレベルでも3を取れるし、
リトマス試験紙が何色に変化するのかを一夜漬けでおぼえたレベルでも、
テストの時までおぼえていられれば、4を取れる。
これでも、世間のイメージでは、5段階評価の「3」は普通で、
「4」にまでなれば、十分、頭のいい子の部類に入る。

 

はたして、この「4」を「できる」に分類していいのだろうか。
もちろん「4」の子は、決してできないわけではない。
だが、「5」の子とは、とても大事な部分で決定的に違う。
(実際の内申点では、ここに提出物やら授業態度、印象値が加味されるおかげで、
その差が見えにくくなるが、もし学力だけで内申点をつけられたとしたら、
この差は、ちょっとやそっとじゃひっくり返らない差なんじゃなかろうか。)

本当は、決定的に違っていて、色々改善した方がいいのに、
なまじ「4」(=「できる」)という評価がついたせいで、
その改善点に目を向けなくなる、ということがあるのではないだろうか。

 

と、これは高校受験の話をしたいわけではなくて、
中学受験でも同様のことが言えると思う。
(自分は)あの子よりはできる。あいつよりはマシ。結構頑張ってる方。
と、こういう発想では、「5」の境地には絶対に到達できない。

「5」を取る子は、授業内容でわからないことがあると、
その日のうちに質問し、納得できるまでしつこくしつこく聞いてきて、
質問を終えた後には自分で問題を解き、答えが合うのを確認してから帰る。
「4」の子は、わからないことがあっても、
恥ずかしがったり、めんどくさがったりして、その場では質問しない。
または、質問したとしても、質問したことで満足し、分かった気になって終わる。
自分で問題を解いたりはしない。

これは一例でしかないが、このような違いが「5」と「4」の差をうむ。
数字にすると、たった「1」の差だが、この差はとてつもなく大きい。