前提が違うという話

運動が苦手な芸人さんを集めて、運動をさせるテレビ番組がある。
テレビだから、多少のやらせもあると思うが、
そもそも趣味の悪い番組なので、見るべきものではない、
と断った上で、今日はこれを話のタネにして書いてみる。

 

幼少期に、または中高の部活等で、やっていたことは、
それを止めた後しばらく経ってからも、結構できる。
ちょっと大きい公園には、野球場があったりするが、
どう見ても走れなさそうな、お腹のポッコリ出ているおじさんが、
100km/時くらいのボールを平気で打ち返しているのを見ると、
昔は、かなりの野球少年だったんだろうなぁと思う。

また、野球部だった人が、野球をできるのは当然としても、
実は、野球以外のスポーツも結構できたりする。
僕の友人で言えば、サッカー部には、球技全般得意な人が多い。
特に誰かに教わったわけでもなく、部活動のように毎日練習したわけでもなく、
なぜ、こんなことができるのだろう?

もちろん、運動神経がいいとか、センスがいいとか、
生まれつきの才能ももちろん違っていると思う。
骨格や背丈、筋肉の付き方などにも、遺伝的な違いはあるだろう。
だけど、これ(先天的なもの)だけで全てが決まってしまうわけではなくて、
野球なら野球、サッカーならサッカーの練習を続けていくうちに、
段々と、自分の体の使い方、動かし方がわかり、必要な筋肉がついていって、
そのうち違うスポーツにも応用が利くようになるのではなかろうか。
何か一つのスポーツをとことんやっていくことで、
専門外のものに対してさえ、試合を見る目や、流れを読む力も洗練されていく。

 

さて、ここで、何か新しいスポーツ、(おそらく誰もやったことの無い競技)
例えば「クリケット」をみんなでやることになったと想像して欲しい。
今日は全員初心者である。
しかし、その初めての練習で、すでに差が出る。

どんなスポーツでもできてしまう天性の才能を持った人や、
野球経験者などは、おそらく上手くなるのが早い。
僕の経験でいうと、サッカー経験者も、きっとコツをはやく掴むだろう。
でも、運動を苦手に思っている人や、球技全般と疎遠だったような人の中には、
なかなか上達しない人も多くいると思う。

まぁ、上の話には、多少の偏見というか、思い込みも入っていると思うが、
何を言いたいかというと、
全員にとって初めてのことを、ヨーイドンで同じように練習したからといって、
皆が同じように成長するわけではない、ということである。
そして、その差ができてしまうのは、本人のヤル気とか、努力の量とか質とか、
そういうもののせいではないということが伝わって欲しい。前提が違うのである。

自分に向かって飛んでくるボールをキャッチしたり、避けたりできる人。
自分の意図した方向にボールを投げられる人。
転がってくるボールに対して、どのくらい膝を曲げて腰を落とせば、
手が届くのかを感覚的にわかる人。
こういう人は、この時点である程度高いレベルにいる人である。
こういう人が、自分を普通だと思って、それをできない人を笑ったり、
怒ったり、バカにしたりするのは良くないと思う。

 

と、運動のことを知った風に語ってきたが、運動の話をしたいわけではない。
同じことは勉強にも言えると思う。