昨日のブログの続き

休校が長引いたのに、カリキュラムを終わらせることだけを目標に、
夏休みを短くしたり、行事をなくしたりすることには、反対である!
と、今月頭のブログ(「今までやってきていなくても」)でも書いた。
その内容と、前回のブログ内容は、矛盾しているのではないか?
と、思われるかもしれない。

 

入試に出るからという理由で、
無理やりカリキュラムをこなす(授業したという既成事実を作っただけ。)
ことは、良くないと思う。せめて無理やりにならないようにと、
夏休みを短くして授業をしたらどうか?入試の出題範囲を狭めたらどうか?
と、考えたのもわからなくはない。

だが、この対応が本当に子どものためになっているのか、という疑問が残る。
他に方法はないのか?そもそも、この対応を考えたのは、
実際に子どもの教育に(直接的に)携わっている人なのだろうか?

 

高校受験では、トップ校を目指すような子の中にも、塾に一切通わない子がいる。
学校で授業さえしてくれれば、ちゃんと自分で勉強する子たちだ。
一方で、冷たい言い方だが、どんなに良い授業をする先生にあたっても、
授業を聞かない子、勉強しない子は一定数存在するし、
コツコツやらずに、一夜漬けのような直前勉強で乗り越えようとする子はいる。

ヤル気の無い子、勉強にネガティブな子に合わせることが公平だとは思わないし、
ヤル気のある子、前向きに努力できる子に合わせることも公平だとは思わない。
そして、平均レベルの子に全員一律で合わせるのも公平だとは思えない。
だが、理想でしかないのかもしれないが、ヤル気のある子、真面目な子までが、
誰だかわからないエライ人たちの決めたことに従って、
本来教われるはずのことを教われないのは、なんだかしっくりこない。

 

それでも全員一律に…というのであれば、
入試日を2月の中旬から3月にずらせばいい。
(3月に実施しているところもたくさんある。)
1ヵ月あれば、授業できるんじゃないか?

それをずらせないんだとしたら、やっぱりこの対応は
子どものためではなくて、大人の事情ってことなんだろう。