「私はその人を常に先生と呼んでいた。」
漱石の『こころ』の冒頭である。
朝日新聞に掲載され始めたのが1914年の4月20日。
今年で掲載100周年目にあたる。
これを記念して、今週の日曜日から同紙上で『こころ』の再連載がスタートしたので、
私もこれを機に再読を始めた。
『こころ』を読むのは4回目になる。
初めて読んだのは高校の教科書だったはずだ。
「この手紙があなたの手に落ちる頃には、私はもうこの世にはいないでしょう。」
この一文に身震いしたのはおぼろげながら記憶している。
3度目は、新聞小説「のように」読んだ。元々が新聞小説なので、
区切りが来たらそこでページを閉じてあれやこれやとその都度想像を巡らせていた。
読了まで数か月かかったが、その分漱石の文体をじっくりと味わうことができた。
さて、4回目となる今回は本当に新聞小説「として」読むことになる。
もうストーリー展開は頭に入っている。
「それからどうした」的な愉悦はきっとないだろう。
とりあえず両手で紙面を持ち、文庫本とは違ってページを繰ることのない、
一定の面積を占める小さな文字の塊に目を落とした。
ん〜何かが違う。何だろう、砂漠に不時着したかのようなこの心の渇きは。
3度読み直してみた。それでもそうしてもしっくりこない。
何だろう、引き潮のようなこの満ち足りなさは。
最早これまで、と観念しかけた時ふと、欄外の「大正三年」という言葉が目に付いた。
そういえば、かつて明治・大正に生きた人たちは
停車場や往来で「声に出して」新聞を読んでいたと聞いたことがある。
そうだ!声に出して読んでみよう!
思い立ったら吉日でもないが、早速音読してみることにした。
教室で生徒たちを前にしてテキストを読むように抑揚をつけて
感情移入しながら読み進めていると、
軽快でリズミカルに畳みかけられている漱石の一文一文が
まことしやかに心地良く感じられた。
しかも、現代では死語となり馴染みの薄くなっている語彙を口にすることで、
江戸に生まれ明治に生きた漱石の時代情緒を
視覚ではなく五感で味わえたような気がした。
生徒が本当に目の前にいたら、と感動を分かち合えないことが惜しく思われもした。
今日は、加藤周一の『続羊の歌』と寺山修二の『啄木を読む』を読み、
戦後昭和の時代精神を懐かしんだのだが、これはあくまでも黙読の世界。
『こころ』の音読は、そんな日頃の視覚中心の読書の池に投じられた一石となり、
じわじわと書物を繙く(ひもとく)喜びの波紋を今後も広げることになるだろう。
音読は決して苦痛なのではなく喜びなのだ。
文章は内容読解だけではなく、配列されている文章のリズムを味わうものでもあるのだ。
言葉は意味を表す記号であると同時に音楽でもあるのだ。
そう生徒一人ひとりに授業で伝えるべく、まずは率先垂範。
『こころ』の音読を新聞掲載が終了するまで貫徹しようと
このブログを持って決意することにする。