「勉強しなさい」は塾が言う!のところで、前のブログを締めくくったが、
本当は、塾でも「勉強しなさい」という言葉を言わずに、
勉強に向かえる子になってほしいと思っている。
指示や命令をされてから行動するというのは、なんだか情けない。
行動する方も、命令しないと勉強をさせられない方も、まだまだな感じがする。
勉強という言葉の響き自体も、なんとなく強いている感じがしてイヤである。
そうではなくて、自分から学びたい、もっと知りたい、調べたい、考えてみたい!
という気持ちに(子どもが)なったら、我々の役目は半分終わったようなものだ。
知っていることが増えると、世界の見え方が変わる。
受け取れる情報量が増え、質も変わる。
知らないこと、わからないことばかりでは、情報は受け取れない。
政治や経済、世界情勢を学んでいくから、ニュースを見られるようになるのである。
そして、最初は聞きかじりかもしれないし、誰かの受け売りかもしれないが、
自分の意見を言えるようになる。
自分の意見を持った上で、人の意見を聞いて、時には意見を戦わせて、
考えを洗練させていく。深みを持たせていく。
知っていることが増えると、知らないことは減っていくはずなのに、
むしろ、知らないこと、わかっていないことの多さに気づけるようになる。
まだまだ知らないことばかりだと、入試のようなテストを控えているときには、
絶望的な気持ちになるかもしれないけれど、
本来、知らなかったことを知れることは楽しく、
できなかったことができるようになるのは喜びである。
そして、まだ知らないことがたくさんあるということは、
その(知らないことを知れるという)楽しみと喜びがまだずっと続く
ということを意味するわけで、結果、知らないことがたくさんあることも楽しくなる。
もちろん、サーパスは受験塾だから、勉強しなくてはいけない環境なのだけれど、
勉強を勉強と思わず、(まぁ本当はさすがに勉強と思っているだろうけれど)
学ぶことの面白さを知り、難しいことにも挑めるようになった自分の成長を実感し、
さらには上には上がいることを知って、絶望ではなく、ワクワクしてくるような、
そんな気持ちになって卒業してくれたら…と思っている。