教えることの難しさ④(結局これを言いたかった)

ようやく本題である。

小学生が(例えばマンションの共有フロアなどに)集まって、
一緒に勉強したり、わからないところを教え合ったりすることがある。
勉強会だと考えれば、親としても反対はしづらい。
だが、小学生が同級生に勉強を教えるのは、残念ながらデメリットの方が大きい。

お友達に勉強を教えてもらって、
「〇〇ちゃんの説明はわかりやすかった!」
「先生よりもわかりやすいかも!」
などという感想が出てくるときは、なお危険である。
友達に教わったことを隠す場合もあるが、
隠すくらいなのだから、やっぱり良いことではない。

 

良くないのは、前回のブログで書いた、まさに
目の前の1題の答えを出すためだけの指導だからである。

非常に不躾な物言いになるが、学校の宿題などで、
とりあえず出しておけばいいというようなものなら、これでもいいかもしれない。
だが、「ここに補助線を引くと、ここに二等辺三角形が出来るでしょ?」
「そうしたら、ここは何度?」「だったら、こっちは何度?」
と、こういう感じで誘導すれば、聞いている方は考えているようで、
実はほとんど何も考えることなく、計算するだけで答えにたどりついてしまう。

教えている方の理解は深まるのだが、教えられている方の学力は伸びない。
数年前にやたらと目に(耳に)したアクティブラーニングも、
やり方を間違えれば、これと全く同様に、
できる子とできていない子の差を広げるだけだと思う。

 

蛇足となるが、
AがBに社会を教えて、BはAに理科を教えるといった関係ならまだしも、
AがBに社会も理科も教えるような関係だと、
それで勉強ができるようになるかどうか?といった問題以外にも、
違う問題が生まれるように思っている。蛇足なので今は掘り下げないが、
人間関係、力関係、心の持ち方などの問題とだけ言っておきたい。

 

さて、話を戻すと、お友達に勉強を教わるのはデメリットが大きいと書いたが、
これと少し似ているのは、解答や解説、あるいはノートを
(チラチラ)見ながら勉強することである。
科目にもよるのかもしれないが、少なくとも算数は、
この勉強のやり方では、できるようにならないと思う。
範囲の決まったカリキュラムテストなら、どうにか戦えても、
その後にきっと伸び悩む。

成績優秀な高校生、あるいは意識を高く持っている高校生なら、
多少は違うかもしれない。だが、小学生はそうはいかない。
お友達が教えてくれて、課題が終わった。
ノートや解説を見ながら自分で終わらせた。
先生としては、どちらも手がかからなくて楽ではある。
だが、それで成績が上がらなかったとき、お友達のせいにはできない。
もっと先生の手を煩わせた方がいい。