今日から冬期講習に入った。小学校も週明けの月曜日には一旦終わる。
大手塾の主催する模試も終わっているので
ようやく、それぞれの子に必要な勉強に集中させられる。
ここからは、志望校の過去問ですら最優先事項ではない。
志望校の過去問は、その学校では二度と出ない問題である。
(一部多少の例外はあるが、少なくとも同じ問題は出題されない。)
問題傾向や問題の質、あるいは時間配分を知って、対処法が身に着いてきたなら、
過去問の優先順位はだいぶ下がる。言うまでもないことであるが、
過去問を解いて点数を出したところで、それで実力が上がるわけではない。
点数が良かったとしても、今どのくらいできるかがわかっただけである。
それで浮かれて勉強をしなくなれば合格からは遠ざかる。
浮かれて油断するくらいならば、点数が悪い方がよっぽどいいかもしれない。
一方で、入試までの残り時間が目に見えて減ってくるこの時期に、
点数の取れないテストに(例えば50分の)時間をかけるのもナンセンスである。
夏から秋にかけての過去問などで、自分の弱点はもうわかっているのだから、
インプットに時間をかけた方がよっぽど効率的である。
また、終わったことなので、今また蒸し返す必要はないのだが、
最後の模試が返却されて動揺している人もいるようなので、少しだけ蒸し返すと、
中学受験においての模試は、突き抜けた学力を持って、
力を持て余しているような人が、悪問も含めた様々な問題に慣れるには良いと思う。
だが、日々、もう残り時間が無い!と焦っている人にとっての優先順位は
模試ではないはずだ。模試の問題傾向、問題の質、時間配分に慣れるよりも、
志望校のそれに慣れるべきであるし、弱点を補強すべきである。
ところで、模試の点数、順位や偏差値、そういう数字(データ)こそが
客観性のある事実であると思われているのもわかる。
自分の(子どもの)位置がわからないと合格の可能性が判断できない!
と、根拠としてのデータを欲するのだと思う。
しかし、同じ点数を取ったAさんとBさんがいたとして、
当然、順位と偏差値も同じなわけだが、その力が同じかと言われると、
まぁ間違いなく違う。一卵性の双子だったとしてもきっと違う。
ある程度、同じように育てられた2人でも、得意不得意や癖はまるで違う。
片方の子が、S中学の入試問題を苦にしなかったとしても、
もう片方の子が、同様にS中学の入試問題を解けるかはわからない。
模試の結果は模試の結果でしかない。
もしかしたら、先ほど述べた、突き抜けた学力を持った人たちについては、
ある程度の相関関係があるかもしれない。80%偏差値なるものが存在するのも、
そのくらいの関係があることを示しているのかもしれない。
だが、50%偏差値も存在するわけで、となると、20~50%の子について、
問題を変えたときに、そこに相関関係が見て取れないのだとしたら、
そのデータは、どこまで根拠と言えるのだろうか。
最後の最後はデータじゃないように思う。
わかりやすく例えると、料理人が、素材や、その日の気温や湿度に合わせて
塩加減や熱の入れ方を変えるように、プロは自分の感覚を大事にしている。
肌感覚、経験則については、誰もが持っているわけではないし、
その精度には(人によって)差がある。
この客観性を持たないものを信じるのは確かに難しいのだが、
受験に限らず、何をするにしても、
最後は信じきれるかどうかが鍵になるという面は、確かにあると思う。