夏期講習は今日終わったけれど②

そして、先のブログで書いたことは、大人(親)にも言える。
あんなに頑張っていたのだから、受かってほしい!
受からせてあげたい!と思う気持ちを否定しているわけではない。
ただ、上のレベルを目指すなら、頑張るのは当たり前で、
ちょっと頑張ろうが、だいぶ頑張ろうが、簡単には合格点に達しないのが普通で、
なのに、今の時点で合格点に達することを期待してしまうのは、
今、その憧れの学校に通っている先輩たちが、受験前にしていた努力を、
所詮、小学生のやること…と、軽く見積もっていたのかもしれない。

 

小学生が、大人でも易々とは解けない問題と、日々格闘している。
「東大に受かるよりも灘や筑駒に受かる方が難しい」と言う先生もいるくらい、
(学校によっては)中学受験で問われるものは難しい。
一生懸命頑張ればどうにかできる。諦めなければ夢は必ずかなう、
と、結果を手にできた人はよく言うけれど、
紙一重で結果を手にできなかった子たちだって、
一生懸命頑張っていなかったわけではない。途中で諦めたわけでもない。

中学受験は、そんな甘い世界ではないのだ。
塾の先生という仕事に就いている人なら、一生懸命頑張っていたけれど、
憧れの第一志望に届かなかったという子を、何人も見てきている。
その子たちの頑張りが他の子に比べて足りなかったのではない。
同じように一生懸命に努力してきた子同士が1点を争うのが中学受験なのだ。

 

その、結果が約束されないものに挑もうとする子どもがいたら、
それだけで尊敬に値すると思う。
大人は仕事を頑張っているが、大人には報酬がある。
もっと給料上がらないかなとか、仕事量の割に感謝されないなとか、
上司に評価されないどころか不当な叱責を受けてやってられないとか、
色々そういうことはあるかもしれないが、報酬がゼロになることはない。
仕事を頑張る大人とは、全然違う話なのだ。

だから、今、過去問の結果が芳しくなかったとしても、
その結果で怒ったりガッカリしたり、受験やめようか?などと言ってみたり…
というのは、それをサポートする立場として、やってはいけないことだと思う。

もちろん、我が子が一生懸命にやっているように見えないから、
結果が出ないときに怒ってしまうとか、怒らないと(勉強)しないとか、
そういう意見もあるとは思う。
だが、今の自分のレベルよりも数段上のレベルに向かおうとするとき、
誰もが歯を食いしばって立ち向かえるわけではない。
励まして褒めて…を繰り返して、どうにかヤル気を持続できるタイプや、
失敗してもいいんだという言質(安心感)が必要なタイプは、
不安や、どうせ自分には無理だという思いもあって、
集中できない(一生懸命にやれない)ということもある。

大人はそういうタイプを見て、頼りないと思うかもしれないが、
そういう子たちが健気に頑張っているのだとしたら、やっぱり
それだけで尊敬に値するのではなかろうか。