先の土曜日、カーボベルデに苦しみながらも勝ったことで、
男子バスケットがパリ五輪行きを決めました!
オリンピックでは、地元(沖縄)開催ではありませんから、
今回同様の声援を受けることができませんし、
出場するのは全て強豪国でしょうから、もっと厳しい戦いになると思います。
それでも、新たな一歩を踏み出した男子バスケットを今後も応援したい!
と思える、最高のバスケWカップでした。
さて、前回紹介した記事において、
トムホーバスが男子のヘッドコーチに就任する際の
『「男子をコーチした経験がないじゃないか」という声も聞こえてきますが、
そんなの関係ない(笑)。バスケットボールはバスケットボールであり、
コーチングとは人間との関係性を築くことに変わりはありませんから。』
というセリフが載っていました。
知れば知るほど、トムホーバスの指導力、人間力に感銘を受けるのですが、
一方で、こういう発言や記事が取り上げられる度、
その後に起こるリアクションに違和感を持ちます。
それは、「コーチング」という言葉の独り歩きについてです。
子育てをする親御さんや、勉強なりスポーツなりを指導する立場の人は、
この「コーチング」について学ぼうとしたことがあるかもしれません。
巷にも、「コーチング」に関する本は溢れています。
しかし、その多くに書かれている、
子どもをこういう風にしたければ、〇〇するといいとか、
〇〇すれば、子どもがこうなるとか、
そういうのって、子どもを思い通りに育てられると思っていそうで、
個人的にとっても気持ち悪いんです。
個人的にと書いたのは、もし今、僕が子どもで、周りの大人たちが、
僕のことを(大人の)思う通りにできると思って接してきたとしたら、
(大人にとって)都合のいい人間に育てようとしてるんだなと感じて、
そういう大人のことを好きになれないからです。
「あなたのため」「君の将来を思って」
こういう言葉に嫌悪感を持つ子どもでした。
それに対して、トムホーバスは選手のことを心から信じているのです。
バスケの女子代表選手が、
「自分が自分自身を信じている以上に、トムが自分のことを信じてくれている」
と語っていましたが、その信頼関係が根底にあるからこそ成り立つものがあり、
厳しい要求にでも応えたいと思うものなのではないでしょうか。
「コーチング」とは、決して小手先のテクニックではないのです。