大学の入り方として、一般受験で入る、推薦で入る、附属の高校から入る、
と、パッと3つの方法が思いつく。
後者2つは経験したことがないので、自分の経験としては語れないが、
どれにもそれぞれ違った良さがきっとある。
さらに、一般受験は2つに分かれる。現役で入る、浪人を経て入る。
これだって、それぞれ違った良さがきっとある。
現役で入ったことで、大学生活とその後の人生に大満足の人もいると思う。
一方、浪人したことで、満足とは言いにくいかもしれないが、
人の痛みがわかるようになった、視野が広がった、
自分とは何者かをじっくり考える機会になった…
総じて自分には必要な経験だったと、そう捉える人もいると思う。
逆に、現役で一応の志望校には入れたけれど、本当は浪人してでも、
もう1回第一志望に、あるいは第0志望にチャレンジしたかった!
という人もいるだろう。
(遊んでばかりで浪人したタイプを擁護しているわけではない。)
近頃の浪人が許されない空気(もちろん経済的な理由もあるにせよ)は、
失敗を許容しない余裕の無さや息苦しさを感じさせる。
就職がどうだとか、社会に出るのが1年遅れると生涯年収が下がるとか、
あるいは、勝ち組だの負け組だの、
そんなのばかりを気にする受験勉強は、なんだかしんどい。
あくまでも勝ち組になりたい人や、生涯年収にこだわる人は別として、
そうでなければ、1年や2年、もっといったら3年、5年、
フラっとアジア旅行に行っちゃうような人の方が魅力的だったり、
案外大物になったりするかもしれない。
まぁ、それは極端すぎるとしてもだ。
大人になってからの1年や2年、社会人になってからの1年、2年、
そのくらいの歳になると、なにかが劇的に変わることは少なくなってくる。
(その頃の1、2年がどうでもいいものだとまでは言わない。)
そういうことで言えば、(塾の先生が言うべきことでないのかもしれないけれど)
浪人したとしても、あるいは、学校に行っていない時期があったとしても、
たいしたことじゃないというか、むしろ、
そういう経験が自分を成長させるきっかけになるかもしれないと思う。
さらに、ますます塾の先生が言ってはいけないのだろうけれど、
「不合格をもらったことで見違えるように成長する子」も毎年、目にしている。
もちろん、たった1回しか試験がない志望校に不合格だったら、
この世の終わりのように感じると思う。
僕らとしても、そうはならないように指導している。
だが、このタイプは、もし無事に合格できていたら、
そこまでの成長をしていない可能性がある。
失敗を許容してもらえる環境なら、失敗から学べることも多い。
もちろん、不合格をもらったことで戦意喪失してしまう子もいるので、
不合格を勧めているわけではない。
だが、「人間万事塞翁が馬」とは、よく言ったもので、
合格だけが尊いわけではない。僕はそう思っている。