『頭は「本の読み方」で磨かれる』

大学を卒業するかしないかくらいの頃に、生まれて初めて北海道に行った。

今月、完全廃止となってしまった「北斗星」という寝台特別急行列車に乗って

札幌に行き、そのまま小樽に移動して入ったお寿司屋さん。

回転寿司よりはさすがに高いけれど、そんなに値が張るわけでもないのに、

そこのお寿司を食べて感動したことを昨日のことのようにおぼえている。

その後、日本各地(というほどでもないけれど)を旅しては、お寿司を食べてみた。

大間のまぐろも美味しかったし、三陸のウニも美味しかった。

酒田で食べた初めて聞く名前の白身魚も美味しかったし、

金沢で食べたのどぐろも絶品だった。

青春18切符で移動をしても、食費がかさんで節約にならないのが私の旅である。

贅沢をしよう!という勧めではない。

美味しいものを食べたから、もう近所の回転寿司の味には耐えられない

なんて調子に乗ったことを言うつもりもない。

回転寿司は回転寿司で美味しくいただけるし、

スーパーのお寿司にだって、出前のお寿司にだって何の不満もない。

そもそもお寿司自体を、頻繁に食べているわけでもない(笑)。

ただ、経験値として味の違いが少しだけわかったように思う。

もちろん人によって好き嫌いがあるから、

ただ自分の舌に合ったというだけかもしれない。

しかし、地のものが美味しいというのは確かだと思うし、

美味しいものを食べてもらいたいと、こだわりをもってやられている

お店の情熱や誠意みたいなものが伝わってくると、

「ここは本物だな」なんて言って、ちょっと格好つけたくなる。

さて、最近出版された『頭は「本の読み方」で磨かれる』茂木健一郎著 の中で

「文章の好き・嫌いをつかんでいくことも大切なことですが、

それには個人差があります。

その一方で、「誰もが認める美文」「人に伝わる名文」というのもあって、

それはどういう表現なのかわかるようになるのは大切なことです。」

と書かれている。

本好きなら、好きな作家、嫌いな作家がいるだろうし、

好きな作品、嫌いな作品もあるだろう。

そういった好き嫌いではなく、「あぁこれがうまい文章」なんだなと

誰もが認めるような文章を知っておくべき、触れておくべきだというのだ。

茂木さんは、その例として夏目漱石を挙げていらっしゃった。

小学生には夏目漱石はちょっと難しいかもしれない。

しかし、名文として名作として、ずっと昔から書店に並び続けている作品には、

しっかりした理由があるわけで、

それを「そうなの?どこが?」ではなくて、

素直に「確かにそうだよね」と思えることが大切だとおっしゃっている。

お寿司の例が相応しかったかわからないが、

改めて名作に触れて欲しいと思った次第である。