偏差値にとらわれる~おまけ②

偏差値について長々と書いてきたが、
こんなことは言われなくても、きっと、みんなわかっている。
偏差値なんかで子どもの頑張りを評価することの愚かさを、
そして、もっと大切なことが他にあることを、頭ではわかっているのだ。

だけれども、偏差値の高い学校にいってほしいというのとは違うけれど、
(何をもってそういうかは置いておいたとして)いい学校にいってほしい、
そして、いい友達と出会ってほしい、いい先生と巡り会ってほしい。
精一杯頑張る経験をして、その結果、その努力が報われてほしい。
我が子の悲しむ姿よりも、喜ぶ姿を見たい…
そう思うのが親心だと思う。

だから、行きたい(行かせたい)と思った学校の偏差値が高かった場合、
偏差値にとらわれるつもりはなかったけれど、
結果的に偏差値を気にするようになってしまうということはあり得る。

例えば、模試を受けた場合に、
我が子の偏差値が、希望する学校の偏差値に届いていなかったりすると、
このままでは受からないのではないか、今のやり方ではマズイのではないか、
何か対策を取った方がいいのではないか、親にできることはもっとないか
と、偏差値で学校を選んだわけではないのに、どうしようもなく焦る。

結論から言えば、この局面では、親が試されている。
端的に言うなら、理性で不安な感情をコントロールできるかどうかである。
志望校の偏差値と我が子の偏差値との乖離を目にしても動じない、
多少動じてしまったとしとも、動じている素振りを見せない、
こういうことが大事である。
また、結果(点数や偏差値)で怒ってはいけない、
過程に目を向けないといけない!と思うからこそ、そうなりがちなのだが、
努力不足を過去までさかのぼって(ほじくり返して)なじったりしないようにする、

要するに、応援するつもりで(良かれと思って)サポートしていたのが、
親の不安と焦りとで、いつしか伴走ではなくなり、
無理やり轡をはめて引っ張るか、
お尻を叩くかになってしまうのが、良くないのだ。

 

またまた、そんなことはわかっている。
わかっていても、どうしても焦っちゃう!という声が聞こえてきそうだけれど、
それを言うなら、子どもだって同じで、
勉強しなきゃいけないのもわかっているし、やろうとも思っているけれど、
うまくやれなくて、続かなくて、できないのだ。

 

 

でも、褒めるのも励ますのも、続けたところで、本人が変わってくれないから、
段々(親の方が)疲れてきちゃう…
こういう相談も幾度となく受けてきた。
お気持ちはよくわかる。
もう、いっそのこと「辞めてしまえ!」と言いたくなるかもしれない。

だけど、寅さん風に言うなら、「それを言っちゃあ、おしまいよ」なのである。