第一志望校って何でしょうね?
そりゃぁ、一番行きたい学校のことを第一志望校というのでしょうが、
では、一番行きたい!と言いさえすれば、あるいは思ってさえいれば、
それだけで第一志望と言ってよいでしょうか。
例えば、勉強の質どころか、最低限の量さえも足りていないのに、
毎日のようにゲームをしている子が、第一志望は開成!と言っているような場合、
これを第一志望校と呼んでもいいでしょうか。
僕個人の意見を述べておきますと、開成第一志望と言うのは自由ですが、
勉強しなくても成績を取れてしまうような天才タイプ以外は、
勉強しなければ、開成を受けたところで合格しないと思います。
そして、厳しい言い方になりますが、合格するわけもないのに、
「第一志望は開成だったんだ」と言うことで、
自分の不勉強を誤魔化したり、他人から良く思われるようにしたりするのは、
その人の、その後の人生にとっても、良くないことなのではないかと思います。
だいぶ前の話ですが、本屋さんで本を探しているときに、
とある私立中の生徒の会話が聞こえてきました。
「俺、浅野の試験中に寝ちゃってさ。それで不合格になっちゃったんだ。」
まぁ、中学生男子特有の青い会話だと思えば、それまでの話なのですが、
『それで』という言葉のチョイスに、なんだかなぁって気持ちになりました。
よっぽど、「俺、中学受験の勉強をなめてたわ」
「だから、中学入ってからの勉強はちゃんとやるって決めたんだ!」
って、友達に向かって宣言している方がいいと思うんです。
(ちなみに、なぜ「よっぽど」という言葉を使ったかと言いますと、
会話の相手は、今通っている私立中が第一志望だったかもしれないので、
本当は浅野に行きたかったんだ!みたいな話は、しなくても良いと思うからです。)
さて、第一志望の話に戻しますが、学力、テストの点数、偏差値、そういうものが、
第一志望校に対して、重要でないとは言いません。
しかし、それよりも、その第一志望校にふさわしい努力をしているかどうか
の方が重要であると、僕は思っています。
ここでいう努力とは、勉強時間や、解いた問題量だけの話ではありません。
取り組む姿勢も含めた話です。
例えば、字がとてつもなく汚い、勉強のやり方が雑、こういうタイプに、
もっと丁寧にやるように指示をしたとします。
受験のときには、自分の答案を学校の先生に採点していただくのだから、
せめて丁寧に書くことが必要でしょう?と話すわけです。
ところが、これが俺(のやり方)だから!と、自分を変えようとしない子は、
やっぱり、その学校にふさわしくないということになるのだと思うのです。
その、あなたが第一志望とする学校に通う諸先輩方は、
勉強しないで、ゲームをしながら合格したと思いますか?違いますよね。
汚い字で、雑な勉強をしていたと思いますか?それも違いますよね。
きっと、先輩方も一生懸命勉強したんだと思います。
その後輩になろうというときに、今の姿勢で大丈夫ですか?
その姿勢のまま、第一志望と言ってしまうことを失礼に思いませんか?
自分が第一志望校としている学校や、そこに通っている先輩たちに、
憧れの気持ちや敬意を持てれば、おのずと姿勢は変わってくると思います。