今はもう、本当に聞き飽きるくらい、
どこの学校でも、どの本でも、勉強習慣が大事であると語られている。
つい最近あがった記事でも、勉強習慣は10歳頃までにつけるべき!
勉強には、ヤル気も気合いもいらない。必要なのは習慣化!
と書いてあったが、まぁ、確かにその通りではある。
しかし、これは勉強に限った話ではないが、
理想はそうだとしても、理想通りにならないことなんていくらでもある。
むしろ、子どものやることに関しては、理想通りに進む方が稀である。
「明日からはちゃんとやります」「次からは頑張ります」
という約束(?)を取り付けても、三日坊主になるのが子どもなのに、
毎日の勉強習慣をつけろ!なんて、簡単に言ってくれるな!という感じだろう。
ところで、突然で申し訳ないが、
どこかへ向かっている途中、道端でガムを踏んでしまったとする。
思わず、「うわっ最悪!」と、声に出して言ってしまうかもしれない。
だが、そのままイライラしていても、
今日は運勢が最悪の日だ!なんて思っていても、何も良いことが無い。
そこで、「う〇こ踏むよりはマシか」「まぁ、そういう意味では全く最悪ではないな」
と考えれば、イライラは多少抑えられると思う。
例としては不適切だったかもしれないが、要はそういうことである。
ついつい、「最悪!」と言いたくもなる状況のうち、大抵のことは最悪ではない。
勉強習慣がつかない。宿題をやらない。
テストの点数が悪い。成績が上がらない。
クラスが下がった。偏差値が下がった。
このままではどこにも合格しない気がしてきた。
この程度のことは、学生時代優秀だった大人だって、ある程度経験していると思う。
ちなみに、僕の中では不登校も全く最悪ではない。
学校を辞めることになったとしても、これも全く最悪ではない。
むしろ、悪いことだと全然思っていない。
大人の中にも会社に行けなくなる人、会社を辞める人がいて、
(法律や、会社の規定に触れるようなことをしていなければ)
そのこと自体は、何も悪くない。
そういうときだって、生きてれば一度や二度あるよ!くらいの感覚である。
そういう感覚に一度もなったことが無いという人がいるなら、
それはそれで幸せですね!と思うけれど、その人の基準で、
学校に行かないのはおかしいとか、普通じゃないなんて思われても、
そんなものは気にしなくていいと思っている。
逆に、自分がそういう気持ちになったことがないのに、
自分が普通だ!あなたは変だ!などと決めつけ、押し付けをしてくるようなら、
その人にこそ、思いやりや想像力が無いと思って、相手にしなくていいと思う。
話が広がり過ぎたけれど、要は、勉強の習慣化ができないとしても、
その程度のことで、受験に向いていないとか、そんなことは思わなくていい。
たいしたことではない。