どんなに大量の課題でも、どんなに困難な条件でも、
不屈の精神でやり切れてしまうタイプがいたとする。
テスト直前期には、(1日あたり)3時間睡眠でも問題ないし、
テスト前日は、徹夜も厭わない。
休憩時間などいらないし、食事も1日1食で十分。
ヤル気があれば、気合いでどうにかなると本気で思っている。
そして、このスタイルで出した結果が、
当人としては、まずまず満足いく結果だったりする。
すると、これがその人にとっての成功体験となる。
これが厄介である。
僕は、受験生には睡眠が必要!1日あたり8時間は寝なさい!
8時間寝ても、まだ疲れが取れていなかったら、10時間寝てもいいよ!
と話しているが、先のスタイルを成功体験としている人なら、
受験生なのに寝過ぎではないか!真剣味が足りないのではないか!
と考えるだろう。
そして、今は寝ている場合じゃないだろう!それよりやるべきことがあるだろう!
最後(受験直前)ぐらい眠いとか言ってないで無理しろよ!
眠気に負ける程度のヤル気なのか!!!もっと自分を追い込め!
と、自分自身の過去の頑張りが元で、こういう声かけになる。
だけど、こういった成功体験は、ともすると生存者バイアスなんじゃなかろうか。
自分を追い込んで追い込んで、うまくいった人がいる一方で、
(話題にならないだけで)そのスタイルで勉強した結果、
うまくいかなかった人がその何倍も何十倍もいるかもしれない。
ひょっとしたら、睡眠時間を確保していた方が、もっといい結果になったかもしれない。
で、本題。今のような極端な例に限らず、どんな事例であっても、
自分がうまくいったという成功体験を、むやみに他人に押し付けるのは危険だ。
自分の子どもは、他人ではないだろう!と思うかもしれないが、
我が子といえども、時代、環境、性格、能力…、様々違っている。
「納豆にはネギを入れた方がうまい!」
と言われても、そんなものは僕に言わせれば個人の感想だ。
「そうですか!それでは、ご自分でお召し上がりください!」
「くれぐれもそれをこちらにまわさないでください!」となる。
(この例、違う?)
蛇足だが、「私の子なのだからできるはず…」という期待も、
子どもからすれば、うまくいかない時にはプレッシャーだし、
うまくいっている時には、手柄を横取りされているような気分になる。
まぁ、人の失敗体験なら楽しく聞けるけれど、成功体験なんて聞かされても…。
こちらが望んで聞いたなら、ありがたい話になるけれど、
聞いてもいない話をされたり、まして押し付けられたりしたら…。
それはご勘弁!って、大人でもなると思う。