この時期、志望校合格まで届くかどうかばかりを考えてしまい、
努力が足りない、緊張感が足りない、意識が…などと、
足りないところについつい目がいってしまうけれど、
ふっと一息ついた瞬間には、みんな成長したなぁって思う。
今年の3年生が、という意味ではなくて、毎年毎年のこととして、
3年生、あるいは4年生、もしくは5年生でも塾に入りたての子については、
授業を聞けない子がとても多い。話自体を聞けない子も随分と増えたが、
ここでは「話」だけに限定せずに、「授業」としておきたい。
比較的、よくできるなぁと思う子であっても、
こと「授業」を聞くという点では、上手くない子が多い。
一例として、サーパスでは、生徒自身に問題を解かせる時間が多いのだが、
その時、全ての問題を自力でスイスイ解けるわけではない。
だから、ホワイトボードに、考え方のヒントとなるような説明を書いたり、
図を描いたり、時には式まで書いたりすることがあるのだが、
この時の生徒の様子を、教育業界にいない人が目にしたらきっと驚くと思う。
・ホワイトボードに書かれたそのヒントには目もくれないタイプ。
・板書を一瞥しただけで、それは自分には関係のないものだと思うタイプ。
・ヒントを見て、ふ~んと思いはしたものの、一切それを活用しないタイプ。
スタートは、この3タイプが本当に多い。
(断っておくが、これは、自分の力で問題を解きたくて、
ヒントを出されるのが嫌!というタイプの話ではない。)
大人なら、せっかくヒントとなる説明や図が書かれたなら、
まずそれを普通は写す(せめて参考にする)ものだと思っていると思う。
だが、そのヒントを自主的に写す子など、基本的にいない。
写すように指示したとしても、それでも写さない子もいるし、
写そうとしても、先生が書いた通りには写せない子も多い。
書いてあるヒントは、さっきまで自分で考えていた方法とは違うかもしれないし、
せっかく途中まで考えたのだから、その続きを考えたいという気持ちもわかる。
だが、それでもヒントだけは写しておこうとか、
うまく解けなかったのは、どこかで考え違いをしていたのかもしれないと、
自分の考え方を見直してみるとか、
後から出てきたアドバイスを有効活用することができるかどうか、
そういうことも含めて、「授業」を聞く力なのだと思う。
で、最初の話に戻ると、そういうスタートだった子たちが、
板書を正しく写し、ヒントの意図を汲み取って考え、
必要に応じて考え方の方針転換を柔軟におこなうようになる。
多少の個人差はあれど、ちゃんと「授業」を聞けるようになっているのだ。
そんなこともできなかったの?そのくらいできて当たり前でしょ?
と大人は思うかもしれないけれど、実は全然当たり前じゃない話で、
声をかけ続けないと、全くできるようにならないのだ。
もしサーパスに通っていなかったらどうなっていたのだろう…
というのは、さすがに余計なお世話だけれど、
受動的な授業の受け方だった子たちが、能動的に授業に参加している姿を見ると、
それだけでも嬉しくなる。