「どうやったらスナフキンみたいに勉強できるようになる?」
これは、今日、6年生から聞かれた言葉である。
私が勉強できるかどうかは、さておき、
『勉強できる』ようにするには、どうしたらいいか?
というのは、子どもにとっては切実な問題だろう。
この質問が、
「勉強したくないので、手軽に成績を伸ばす方法はないか?」
という意図でのものなら、
「勉強するしかないよ!」とか、「楽な方法なんかないよ!」
といった返事をするが、6年生からの質問なので、そういう意図ではない。
自分としては、勉強していると思う。
してはいるのだが、思うように成績が伸びない。
どうして自分は勉強してもできるようにならないのだろう?
という状況からきた質問なのである。
決して楽をしたいための質問ではなく、その子なりの前向きな質問なのだと思う。
だから、誠心誠意、ちゃんと答えてあげたいのだけれど、
ちゃんと答えようとすると、むしろ残酷な返事になってしまうかもしれない。
というのは、勉強だけでなく、何でもそうなのかもしれないけれど、
頑張り始めてまだ数か月の子が、もっと長期にわたって頑張ってきた子に、
そうそう追いつけることはないからである。
仮に同学年の成績優秀な子に対抗心を燃やすなら、
せめてその子の勉強量、これは1日当たりの話ではなくて、
その子の今までの総勉強量に追いつくくらいの意気込みが必要だと思う。
その質問をしてきた子がいるクラスに、算数を得意とする子がいるが、
その子は、算数は小さな頃から好きな科目で、
お母さんに頼んで、算数のテキストを買ってもらったこともあったと言っていた。
先日も、塾まで来る時の車の中で、
気になる問題をずっと考えていたら車酔いしたと言っていたが、
要は、他の人から見た時に、ひょっとすると、ちょっと引かれるかもしれないような、
そういうのめり込み方(←私はとてもいいことだと思う。)で、過ごしてきた結果が、
今のその子の力なのである。
やらされている勉強でもなければ、「努めて」勉強をしているのでもない。
サッカー少年が毎日毎日、飽きもせずボールを蹴っているように、
バスケ少年が、片時もボールを手から離さないように、
ギター、一輪車…、何でもいいが、とにかくそれを夢中になって続けていると、
いつしか上達しているものだと思う。
長く続けてきた人に、そうそう簡単には追いつけない。
だけど、誰かに勝つとかではなくて、単純に『できる』ようになりたいのならば、
周りが見えなくなるくらいまで、グッと入り込んでやる。
集中というより、夢中になってやる。
他の人から見たら、ちょっと狂気に見えるくらいにやる。
少なくとも、勉強しながら、チラチラ時計を見たり、誰かに話しかけたり、
立ち上がったり、飲み物を飲んだりしているようでは、その域にはいけない。
一言でまとめれば、「やるべきときは、やる!」
これを徹底すれば、良いと思う。