できない理由

勉強のできない子には、できない理由がある。
極端なことを言えば、机に向かっている時の後ろ姿でも、できない子はわかる。
机に対して真っ直ぐ座れないのもそうだし、
頬杖をついたり、投げ出した腕の上に頭を置いたりして姿勢が悪いのもそう。
後ろ姿でさえできないことがわかるのだから、前から見たらもっとわかる。

先生が話しているのに、先生の方を見ずに違うところを見ていたり、
時計を気にしたり、(手をあてることさえなく)あくびをしたり…。
机の上が(その時の)勉強に関係ないもので散らかっていたり、
鉛筆が丸まっていたり、消しゴムが小さすぎてすぐどこかに転がってしまったり…。

ほんのちょっとの時間、見ただけでもわかってしまうが、
1時間2時間と、長時間見ていたらさらにわかる。
できない理由を挙げ出したらキリがない(笑)。

丁寧に字を書かないのもそう。図や式をきれいに書かないのもそう。
こんなことを書くと、字の汚い人の中にこそ天才タイプがいる!
というような反論がきそうだが、今は天才について考察しているわけではない。
少なくとも、その天才タイプは、字は汚いけれど天才なのであって、
字が汚いから天才なわけではあるまい。
字を丁寧に、そして図や式をきれいに書くことで学力が上がることを
天才でないのなら、本気で信じた方がいい。

1つ1つは小さいことに思うかもしれないが、こうやって活字にしてみると、
確かにこれじゃぁ勉強できるようになりそうもないと感じてもらえるだろう。
こういう癖がついている人は、どんなに良い授業を受けたところで、
また、勉強時間を長くしたところで、勉強ができるようにはならない。
だから、そういう姿勢の子には、姿勢が悪い!とか、
その態度は勉強を教わる態度ではない!と叱る。

この指導は、人によっては、口うるさいただの説教に聞こえるかもしれない。
また、叱る時の声の大きさや言い方によっては、怖いと思われる可能性も高い。
だが、こういった癖のある子の学力は、ここを野放しにしたままでは伸びない。
ひと昔前までは、塾は勉強だけ教えていればいい、と言われていた。
だが、今はそういう時代ではないのだと思う。

蛇足になるが、普通の塾は、生徒が増えることを無条件に歓迎する。
その生徒にどんな悪い癖がついていても、それをどうこうすることはない。
俗にいう、塾にとっての「お客さん」が入塾した瞬間である。
「お客さん」を作れば、塾の収入は増えるが、合格率は下がる。
当たり前の話である。