信じる③

ここから話が飛躍して、僕個人の独り言になるけれど、
子どもにとって、親以外に信じられる人、頼れる人がいるかどうかって、
人生において、かなり大事なポイントになるんじゃないかと思っている。
もちろん、自分がそれにふさわしいなんて自惚れてはいないから、
その頼れる人がどこかにいれば十分だし、まだ身近にそういう人がいないなら、
いつかそういう人と出会えたら…という話なのだが。

 

かくいう僕にも、そういう存在はいる(いた)。
例えば、小学校一年生のときの担任の先生。三、四年生のときの担任の先生。
中学受験するために通った塾の先生。中高の先生。
中高の先輩にもいるし、同級生にもいる。

その人たちの、親とは違ったものの見方、考え方に触れることは刺激だった。
視野を広げてくれたというか、全く違う世界の存在を知れたと言ってもいい。
それまで盲目的に正しいと信じていたことを、相対化・客観視できるようになった。
また、親とは違う視点で、自分のことを認めてくれて、大切にしてくれたことが、
反抗期等々、難しい時期には、安心できる居場所になった。

 

自分の生活や感情面が、好調あるいは平穏無事なときなら、
そういう存在をそこまで必要としないかもしれない。
だけど、人生何があるかわからなくて、山あり谷ありの谷のときが、
長くて深い場合に、そういう存在がいるのといないのとでは、
苦しさがまるで違うと思う。
少なくとも、僕は、その人たちのおかげで何度も救われたし、
その人たちなくしては、今の僕はいなかったと思う。

僕の人生は、人に恵まれてきた人生で、大いに人に助けられた人生だったから、
逆に、誰も信じられない!状態は、不安だったり窮屈だったりしないのだろうか。
と不思議に思う。

 

社会人になってから(会社勤めをするようになってから)、
周りの人のことは全く信用してないのかな?
というタイプの人と何人も出会ったが、その人たちは仕事もできたし、
おそらく頭のいい人なんだろうな…と感じられたけれど、
本当に余計なお世話ながら、いつもストレスを溜めているように見えた。
そして、周囲の人から、距離を置かれているようにも見えた。

実際、他の人の手助けなど必要としない人、
あるいは、自分より仕事のできない人に手伝ってもらうと余計な仕事が増える
と感じている人もいるのだと思うけれど、まぁ、そういう人は、
好きでそうしていると思うので、僕なんかがとやかく言う必要はない。

ただ、人を信じるのが苦手なだけで、
本当はちょっと不安だったり窮屈だったりする人なら、
失敗する可能性もあると先に断ってはおきたいが、
人を信じる練習をしておいて損は無いと思う。

少なくとも、僕らは勉強や受験に不利益なアドバイスなどしない。
若過ぎても、そこは信じてもらって大丈夫だ。