先日、この4月に小学校に入学したお子さんのいるご家族と、
道でバッタリお会いした。
予想に違わず、入学式の翌日から小学校は休校となったそうで、
今は、「渡された教科書を少しずつ家で進めている」けれど、
「どうやって教えていいか、よくわからない。」と言っていた。
学童からも、今は来ないで済むなら、できるだけ来ないで欲しい
と言われているようで、勉強をどうしたらいいかと困った様子でいた。
小学1年生の学習内容なんて、誰でも教えられるように思えるが、
当たり前すぎることを教えるのは、逆になかなか難しかったりする。
おかしな教え方をして、変なクセがついてもいけないし、
「だってそういうものなんだよ!」「もうおぼえちゃいなさい!」
などと頭ごなしにやって、勉強嫌いにしてしまったら元も子もない。
だから、ついつい慎重になってしまう気持ちはよくわかる。
また、別の話であるが、昨年、ファストフードで一息つこうとした時、
(見知らぬ)お母様が我が子に算数を教えている場面に遭遇した。
隣のテーブルとの距離が近かったので、問題も見えてしまったのだが、
問題の内容からして4年生くらいだったのだろうと思う。
そのお母様は、(上からの物言いで申し訳ないが)なかなか上手に教えていたので、
子どもと言い争いになったり、子どもがへそを曲げたりすることはなかった。
だが、(本当に余計なお世話なのだが)導き過ぎじゃないかな?
そこまで教えちゃったら、子どもに何も考えさせてないんじゃない?
と感じるほどでもあった。
「教育」には、「待つ」指導、「見守る」指導がどうしても必要である。
効率重視になってしまうと、先回りして、手を貸したくなるし、
飲み込みが悪いところについては、「おぼえなさい!」という指導になりがちだが、
それでは子どもは成長しない。わかった気になるだけで、できるようにはならない。
でも、お父さんお母さんは忙しい。
いつまでも気長に待っていられるほど暇じゃない。(僕らも暇なわけではない。)
自分にもやらなきゃいけないことがたくさんある。
だから、早く先に進んで欲しい、早く終わらせて欲しい、
そのペースじゃ終わらないだろう…と、気を揉む。
そして、進みの悪いのを見てイライラしたり、過度に教え込んでしまったりする。
子どもは子どもで、数年間の経験から、自分の親のパターンを心得ている(笑)。
わからないという態度を示せば、イライラする親の場合は、
わかったフリをしてでも、その場をしのぐ。
わかっていなくても「わかった」と言い、
やっていなくても「やった」「できた」と言うようになる。
課題があることを隠したり、バレないように答えを写したりするようになる。
とにかく早く片付けることを最優先にする親の場合は、
わからないという態度を取り続けてドンドン説明させ、
答えに近いところまで親に出させて、最後に笑顔で「わかった」と言う。
これで親は自己陶酔し、子どもは課題からも親の干渉からも解放される。
これはそんなに珍しい話ではなくて、よくある話だと思う。