毎日暑いですね。

音読

父母会でも、このブログでも、度々お伝えしている
『音読』の必要性についてです。

この秋の面談で、
「ここ東戸塚近辺の塾で、サーパス以外に音読を課している塾が無い(のでは?)」
と、言われました。

東戸塚は中学受験塾の激戦区で、塾の種類も豊富ですが、
それらの塾全てが、音読をやらせていないとなると、
サーパスだけが変わった課題を出している印象になってしまうかもしれません。

しかし、改めて申し上げますが、国語という教科は語学です。
日常的に使用しているかどうかの差はありますが、英語と同じ語学です。
英語と同じだということで、英語をどうやって勉強したか、思い出してみてください。

学校によって、先生によって、あるいは時代によって(笑)、
細かい部分での教え方は違ったかもしれませんが、
おそらく、誰もが読まされたり、聞かされたり、
書き写しさせられたりしたのではないかと思います。

また、英語にこだわりのある学校であればあるほど、
結構長めの文章を題材に、「暗記しなさい」「暗唱しなさい!」
という課題が出されたのではないかと思いますが、いかがでしょうか。
英語の歌を聞かされたり、映画を見させられたりといったこともあったかもしれません。

これが語学の勉強の仕方なのだと思います。

中学の古典の授業で、『枕草子』や『平家物語』の冒頭部分を暗記させられるのも、
同じ意図だと思います。
すらすら読める子は、どこで息継ぎをしていいかわかっているわけですから、
単語の切れ目や意味の切れ目がわかっているということですし、
その分、情景を思い浮かべやすくなっていると思います。
ですから、すらすら読める子は、それだけで古典への抵抗が減っているはずです。
逆に、(古典を)すらすら読めない子は、
それを苦手としている可能性が高いと言えます。

英語にせよ、古典にせよ、そして現代の日本語にせよ、
いい文章を声に出して復唱することで、
正しい語順や、正しい表現に慣れていくものだと思いますし、
それが、後に作文を書いたりする時にも役立つのだと思います。
(いい文章であることが重要であるとも言えます。
自分が日常使っている日本語が「正しい」と、自信を持って言えるでしょうか?)

幅広い読書の習慣があって、語彙も豊富な人が、
国語の勉強に問題演習を取り入れることに異論はありません。
ただ、文章を音読させた時に、どこで息継ぎしていいかもわからないし、
そこに書かれた漢字も読めないような状態では、
おそらく文章の意味を理解できていないでしょう。
その状態で、いくら問題を解いても正解はしませんし、
仮に選択肢の問題を正解できたとしても、
果たして正解したことに価値はあるのでしょうか。

(小手先の)テクニックで得点を伸ばすことも、
受験では必要だ!という意見もあるでしょう。
しかし少なくとも、それは最後の最後でいいのではないかと思います。
4年生や5年生のうちから、それに走るのは、とてももったいないことだと思います。